西田中村(読み)にしたなかむら

日本歴史地名大系 「西田中村」の解説

西田中村
にしたなかむら

[現在地名]御殿場市西田中

東田中村の北西方に位置する。古くは東田中村と一村で田中村と称していたが、正保四年(一六四七)検地によって東・西の二村になった。本村ほんむら反田そりだ北原きたばら雑古沢ざつこざわかやこう道上みちうえ馬場ばんばの八集落からなり、村域も大きく四つに区分される。いちばん南に位置するのが本村で、本村の半里ほど北方萩原はぎわら村を挟んで反田がある。反田の東、北久原ほつくばら村を挟んで、馬場道上があり、その北方に鴻ノ巣、鴻ノ巣の北に雑古沢と続く。雑古沢・鴻ノ巣の東、東田中村を間に北原があり、ぬけ川を越えて雑古沢の北方、北を山之尻やまのしり村、南を二枚橋にまいばし村分栢木かやのきに挟まれて当村分の栢ノ木がある。鴻ノ巣・雑古沢・馬場・道上の辺りが村の中心で、東側を御殿場道、南辺を須走すばしり道が通る。馬場・道上で祀る八幡宮西方の「土屋くらと申所」に明応三年(一四九四)北条早雲によって相模小田原城を追われた大森実頼屋敷(縦四二間・横四〇間ほど)がある(貞享三年「村指出帳」仁杉区有文書)


西田中村
にしたなかむら

[現在地名]朝日町西田中

天王てんのう川が丹生山地より東流し平野に出たところの右岸にある。永禄五年(一五六二)一二月一四日付景連外三奉行沙汰状(劔神社文書)に「印内神領」とみえるのが当村で、つるぎ神社(現織田町)の社領があった。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図に「印内いんない村」として高六〇六・七三七石が記される。正保郷帳によると田方五七二石余・畠方三四石余はすべて幸若知行所で、幕末まで続く。元禄郷帳から西田中村と表記される。

当村に居住した幸若は音曲を業とした家柄であった。


西田中村
にしたなかむら

[現在地名]市川町西田中

北田中村の西、市川と小畑おばた川の合流点付近に位置する。神東じんとう郡に属し、中世は田中庄に含まれた。慶長国絵図に「田中ノ西村」とみえる。正保郷帳では田中村に含まれた。貞享元年(一六八四)の本多忠国領知目録(本多家文書)に村名がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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