清滝村(読み)きよたきむら

日本歴史地名大系 「清滝村」の解説

清滝村
きよたきむら

[現在地名]海上町清滝

椿つばき新田の東端、下総台地岩井いわい村の下にある椿新田一八ヵ村の一つ。また窪地六ヵ村と称された。元禄八年(一六九五)の新田検地帳(塙家文書)には岩井村下とみえ、幕府領であり、椿新田由来書(海上町史)によれば翌九年が清滝村の初見。延享三年(一七四六)佐倉藩領となるが、明和四年(一七六七)上野安中藩領となり明治を迎える。椿海干拓の成功後、延宝二年(一六七四)以降利根川栗山くりやま川の沿岸沖積低地および台地から百姓が新田地を購入して移住、また江戸の商人は投機として購入し、村落構成が開始された(「記録帳」宮内家文書)


清滝村
きよたきむら

[現在地名]四條畷市清滝・清滝中きよたきなか町・清滝新きよたきしん町・南野みなみの六丁目・中野なかの一丁目など

江戸時代には中野村の分郷で中野村かみ郷と称した。集落は中野集落の東方、清滝街道沿い、およびその南北に散在する別宮べつくう栗尾くのう馬場ばば正法寺しようほうじ大上おおがみじよう星尾ほうしよう・清滝の八小集落からなる(明治一五年清滝村誌「四條畷市史」所収)。行政的に独立村となるのは明治五年(一八七二)、清滝村への改称は同一五年。清滝は元来、上郷の東部標高一七〇メートルに開けた小集落名で、この地名は同地に近傍山中の滴り水を集めて落下する二〇メートルほどの滝があることによる。


清滝村
きよたきむら

[現在地名]金津町清滝

けんヶ岳西麓の谷間にある。「越前国名蹟考」は枝村として上清滝かみきよたき村を記す。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図では「坪江上郷之東」に含まれていた。村名は正保郷帳にみえ、田方二七八石余・畠方二一七石余。貞享三年(一六八六)福井藩領から幕府領となり、文政三年(一八二〇)以後再び福井藩領。

元禄八年(一六九五)の後山組十七ケ村村方書上(宗石家文書)や享保五年(一七二〇)の村明細書上(原田氏蔵)、寛延三年(一七五〇)村差出明細帳(同氏蔵)によれば、元禄八年の戸数は三〇(本百姓二四・水呑百姓六)、馬二三匹。


清滝村
きよたきむら

[現在地名]古川市清滝

広漠たる山林原野の中にあり、栗原郡に属する。現市域の北端。南東は清水沢しみずさわ村、南は北宮沢きたみやざわ村、北東は高清水たかしみず(現栗原郡高清水町)、北西は玉造たまつくり下真山しもまやま(現岩出山町)と接する。村名は五代藩主吉村が正徳四年(一七一四)この地に赴いた際、おもて滝・うら滝という滝があったため名付けたという(栗原郡旧地考)雲雀野ひばりのも同じ時の命名という。


清滝村
きよたきむら

[現在地名]日光市清滝一―四丁目・清滝町・清滝桜きよたきさくら丘町おかまち清滝中安戸町きよたきなかやすどまち清滝丹勢町きよたきたんぜまち丹勢たんぜ

大谷だいや川左岸、丹勢山麓にある。南西は細尾ほそお村、村名は清滝に由来するとされる。慶安郷帳には日光領として村名がみえ、畑高六三石余。同領編入の時期は不明。元禄一四年(一七〇一)の日光領目録では一三三石余。「日光山志」には「中禅寺並足尾辺への往来なり。民戸三十宇散在し、陸田もあり」と記される。嘉永六年(一八五三)の仕法開始時の家数三三・人数一四六、馬三三、反別三三町余のうち荒畑二町一反余(日光領高反別其外調書)


清滝村
きよたきむら

[現在地名]山東町清滝

柏原かしわばら村の西北に位置し、大部分は山地で、集落は山際にある。中世には柏原庄に含まれた。同庄は山城醍醐寺円光えんこう院領で、当地に同寺鎮守の清滝宮が分祀され地名となったという。建長五年(一二五三)六月二〇日の左弁官下文(内閣文庫蔵)に近江国清滝社に五日間祈雨の読経が命じられている。天正一九年(一五九一)四月の御蔵入目録(林文書)に「長岡之内清滝村」とみえ、豊臣秀吉の直轄地で、高四五二石余。寛永石高帳・正保郷帳高では幕府領。


清滝村
せいりゆうむら

[現在地名]大野市清滝

大野城下の西、すな山の東麓にある大野町の枝村の一つ。天文八年(一五三九)一〇月一八日付平泉寺賢聖院々領所々目録(平泉寺文書)に「清滝村高橋ニ有之」とみえる。「越前国名蹟考」に大野町枝村として高四七・四九一石とある。天明三年(一七八三)の惣人別寄帳(「大野町史」所収)清滝西方寺せいりゆうさいほうじ村として家数二(本家のみ)、男七・女四とあるが、これには村内にある清滝神社地名子が含まれていないと思われる。


清滝村
きよたきむら

現門司区清滝に比定。観応二年(一三五一)一二月二七日未明、宮方の「大舘右馬助殿手河津已下凶徒」らが当時足利直冬に従っていた下総親胤の親類(郷カ)房在所清滝村」に寄せ来たり、合戦したという。翌年一月一九日にも「卿房宿所」で「散々合戦」に及んだとみえる(同三年二月日「下総親胤軍忠状」門司文書/南北朝遺文(九州編)三)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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