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松浦静山 まつら せいざん

美術人名辞典の解説

松浦静山

江戸後期肥前平戸藩主。江戸生。名は清、別号雲州・流水・感恩斎等。徳川家治に謁し、従五位下壱岐守に任ぜられ、その翌年平戸藩主を嗣ぐ。藩財政再建に専念する一方学問・武芸の普及をはかった。藩校維新館を創設、感恩斎(江戸)・楽歳堂(平戸)の開設に続き絹熙斎を開く。林述斎の奨めにより甲子の夜に起草し、『甲子夜話正続各百巻、第三篇七八巻を著わす。天保12年(1841)歿、82才。

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百科事典マイペディアの解説

松浦静山【まつうらせいざん】

松浦(まつら)静山

松浦静山【まつらせいざん】

江戸後期の肥前(ひぜん)平戸藩主。名は清(きよし)。1775年襲封して藩政を改革。幼時から学を好み,藩校維新館を設立して教学を振興。隠退後,見聞を筆録して《甲子(かっし)夜話》を著す。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

松浦静山 まつら-せいざん

1760-1841 江戸時代中期-後期の大名。
宝暦10年1月21日生まれ。父政信の早世祖父松浦誠信(さねのぶ)の養子となり,安永4年肥前平戸藩(長崎県)藩主松浦家9代。「仕置帳」をさだめるなど統治体制を整備し,財政再建,新田開発,殖産興業に業績をあげた。文武を奨励し,藩校維新館を設立。天保(てんぽう)12年6月29日死去。82歳。名は清(きよし)。通称は英三郎。別号に雪洲,流水など。著作に「甲子(かっし)夜話」など。

松浦静山 まつうら-せいざん

まつら-せいざん

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朝日日本歴史人物事典の解説

松浦静山

没年:天保12.6.29(1841.8.15)
生年:宝暦10.1.20(1760.3.7)
江戸中期の大名,肥前国平戸藩(長崎県)藩主。幼名英三郎,のち壱岐守を称した。諱は清。号は静山,雪洲,流水,感恩斎など。実父は松浦政。政が早世したため祖父誠信の養嗣子となり(嫡孫承祖),安永4(1775)年2月に16歳で襲封。同年3月に平戸に初入部するが,そのおりに「訓戒十条」を認めて藩政の刷新を打ち出し,また藩財政の改善に取り組んだ。天明7(1787)年には財政の基本を定めた「国用法典」,寛政7(1795)年には町方,郡方,浦方の統治を規定した「仕置帳」を制定して政治制度の整備をすすめた。 好学の大名として知られ,和漢の歴史,逸話,和歌,有職故実,本草,物産,博物,民俗,蘭学など自然・人文の万般にわたって旺盛な知識欲を発揮した。静山はこれらの知識を古今の書籍に求め,また江戸への参勤交代の道すがら土地の故老に尋ね,あるいは本草学者木村蒹葭堂,考証学者で静山の師である皆川淇園,同じ学者大名たる松代藩主の真田幸貫,黒羽藩主の大関増業らとの交流の中で身につけていった。安永8年に藩校維新館を開き,翌9年には文庫として平戸に楽歳堂,江戸に感恩斎を設け,さらに天明4年には修史所としての絹煕斎を置いて「家世伝」の編纂をすすめた。また武芸にも秀で,自ら心形刀流免許を得るとともに,他方では藩内の武備を強化して海防にも怠らなかった。文化3(1806)年に致仕するまで三十余年の長きにわたって藩主の座にあったが,隠居後は江戸本所の別邸にあって学問に専心し,昌平黌総裁林述斎の勧めで文政4(1821)年11月の甲子の日の夜に筆を起こし,その膨大な知識を以後20年にわたって書き綴り,ついに278巻の大著『甲子夜話』をなした。82歳の高齢で江戸に卒去し,本所天祥寺に葬られた。法号は豊功院殿静山流水大居士。<参考文献>松浦伯爵家編修所編『贈従三位壱岐守松浦清卿略伝』

(笠谷和比古)

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世界大百科事典 第2版の解説

まつらせいざん【松浦静山】

1760‐1841(宝暦10‐天保12)
江戸後期の大名。肥前平戸藩代の藩主。江戸藩邸に生まれた。幼名英三郎のち清(きよし),静山は号。8代藩主誠信(さねのぶ)の三男政信の子であったが,1771年(明和8)父卒するや,祖父の世子となり,75年(安永4)2月,祖父の致仕に伴って襲封し,6万1700石を領した。あたかも藩は慢性化した財政難にあったため,ただちに人事の刷新を断行し,藩政執行部を一新し,緊縮経済を確立し,財政収入の確保と計画的な処理を徹底するため,具体的な計画を立て,実行に移して,大きな成果をあげた。

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大辞林 第三版の解説

まつうらせいざん【松浦静山】

まつらせいざん【松浦静山】

1760~1841) 江戸後期の大名、平戸藩九代藩主。藩政改革を断行し、財政を再建。退隠後は多くの文人と交わり、随筆集「甲子夜話かつしやわ」を残す。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

松浦静山
まつらせいざん

[生]宝暦10(1760).平戸
[没]天保12(1841).6.29. 平戸
江戸時代の平戸藩主。幼名は英三郎,のち清 (きよし) 。静山は号。安永4 (1775) 年藩主襲封。幼時から学問,歌道にすぐれ,領内の学問振興に尽力。文化3 (1806) 年隠居してのちは,交遊のあった儒学者林述斎の指導を得て,文政4 (21) 年から『甲子夜話』を起草し,20年間にわたって正編 100巻,続編 100巻の大著を著わした。

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367日誕生日大事典の解説

松浦静山 (まつらせいざん)

生年月日:1760年1月20日
江戸時代中期;後期の大名
1841年没

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世界大百科事典内の松浦静山の言及

【甲子夜話】より

…平戸藩主松浦(まつら)静山の随筆。1821年(文政4),静山62歳の11月甲子の日,静山邸を訪れていた親友林述斎のすすめによって,その夜から起筆したのが表題のゆえんである。…

【平戸藩】より

…肥前国(長崎県)北松浦郡平戸に藩庁を置いた外様中藩。藩主は松浦氏。6万1700石。松浦党に系譜をひく平戸松浦氏は,党の単位細胞である平戸党の結束を通じて在地領主として発展し,隆信(道可)の時代には,北松浦郡と壱岐国を領有する戦国大名に発展した。1587年(天正15)豊臣秀吉の九州征伐後,本領を安堵されて近世大名となった。石高は6万3200石であったが,1664年(寛文4)4代藩主鎮信(しげのぶ)(天祥)のとき,従弟信貞に今福1500石を分知した。…

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