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林不忘 はやし ふぼう

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美術人名辞典の解説

林不忘

小説家・翻訳家。新潟県生。本名は長谷川海太郎。他に牧逸馬・谷譲次の筆名を持つ。初め谷譲次の名で渡米の経験をつづった『テキサス無宿』など、いわゆる「めりけんじゃっぷ」ものを発表した。その後、牧逸馬では海外探偵小説や、主婦層の人気を集めた『地上の星座』など通俗小説を発表。林不忘では、時代物の『丹下左膳』を発表した。三つの筆名を並行して使い分け、小説を量産したことから「文壇のモンスター」との異名をもつ。昭和10年(1935)歿、36才。

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デジタル大辞泉の解説

はやし‐ふぼう〔‐フバウ〕【林不忘】

[1900~1935]小説家。新潟の生まれ。本名、長谷川海太郎。谷譲次・牧逸馬(まきいつま)の筆名でも作品を発表。時代小説丹下左膳(たんげさぜん)」のほか、谷譲次名義の「テキサス無宿」、牧逸馬名義の家庭小説「地上の星座」などがある。

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百科事典マイペディアの解説

林不忘【はやしふぼう】

小説家。本名長谷川海太郎。長谷川四郎は弟。新潟県生れ。林不忘のほか谷譲次,牧逸馬などの筆名を使い分け,大衆文学の各分野に才筆を振るった。谷譲次名では《テキサス無宿》などの〈めりけん・じゃっぷ〉もの,林不忘名では《丹下左膳》(《新版大岡政談》)の時代もの,牧逸馬名では《この太陽》などの家庭小説がある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

林不忘 はやし-ふぼう

1900-1935 大正-昭和時代前期の小説家,翻訳家。
明治33年1月17日生まれ。長谷川四郎の兄。函館中学中退後,アメリカで苦学。大正13年帰国し,谷譲次の名で「テキサス無宿」などの「めりけん・じゃっぷ」物を発表。さらに林不忘の名で「丹下左膳」などの時代物を,牧逸馬の名で推理小説や家庭小説「地上の星座」などをかき,翻訳もした。「一人三人全集」がある。昭和10年6月29日死去。36歳。新潟県出身。本名は長谷川海太郎。
【格言など】近代の都会は一個の生物である(「もだん・でかめろん」)

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世界大百科事典 第2版の解説

はやしふぼう【林不忘】

1900‐35(明治33‐昭和10)
昭和前期の大衆小説家。牧逸馬,谷譲次などの筆名を駆使し大衆文壇の怪物と称された。新潟県佐渡郡相川町の生れ。本名長谷川海太郎。弟の潾二郎は洋画家,濬はロシア文学者,四郎は作家である。新聞人だった父に従って2歳のおり函館に移住,そこで幼少年期をすごしたが,函館中学卒業を前にしてストライキ事件を機に退校し,1918年に単身渡米,働きながら勉強した。24年帰国後,松本泰の紹介で森下雨村を知り,そのすすめで《新青年》にいわゆる〈めりけん・じゃっぷ〉ものを谷譲次の名で発表,さらに牧逸馬名で海外推理小説の翻訳や通俗小説を執筆,林不忘の名では《新版大岡政談》を書き,丹下左膳を創造して文壇の寵児となったが,35歳の若さで急逝した。

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大辞林 第三版の解説

はやしふぼう【林不忘】

1900~1935) 小説家。新潟県生まれ。本名、長谷川海太郎。他に谷譲次・牧逸馬の筆名がある。めりけんじゃっぷ物「テキサス無宿(谷譲次)」、家庭小説「地上の星座(牧逸馬)」、時代小説「丹下左膳(林不忘)」など。

出典|三省堂
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

林不忘
はやしふぼう

[生]1900.1.16. 新潟,相川
[没]1935.6.29. 鎌倉
小説家。本名,長谷川海太郎。筆名はほかに牧逸馬,谷譲次。 1918年函館中学校を中退してアメリカへ渡り,苦学してオーバーリン大学などに学んだ。 24年に帰国後,まもなく作家活動に入り,林不忘名で時代小説,谷譲次名で在米邦人に取材した「めりけん・じゃっぷもの」,そして牧逸馬名で海外推理小説の翻訳や通俗小説など,3つの筆名を使い分け,幅広い分野で活躍した。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

林不忘
はやしふぼう
(1900―1935)

小説家。新潟県佐渡の生まれ。本名長谷川(はせがわ)海太郎。小説家の長谷川四郎は弟。函館(はこだて)中学校卒業の直前、中学のストライキ事件に関係したため退校。1918年(大正7)渡米して、7年間アルバイトをしながら英文学を学んだ。帰国後、『探偵文芸』その他に『釘抜(くぎぬき)藤吉捕物覚書』(1925)を発表、27年(昭和2)から『東京日日新聞』に『新版大岡政談・鈴川源十郎の巻』を連載、作家としての地歩を固めた。33年、その続編にあたる『丹下左膳(たんげさぜん)』を『毎日新聞』に連載、片眼片腕の怪剣士、丹下左膳という特異な主人公像を造形して読者の圧倒的な人気を得た。三つの筆名を使い、林不忘では伝奇時代小説を、牧逸馬(まきいつま)では『この太陽』(1930)、『地上の星座』(1932)などの推理小説や家庭小説を、谷譲次では『テキサス無宿』(1929)などの「めりけん・じゃっぷもの」を精力的に執筆した。[磯貝勝太郎]
『『一人三人全集』全6巻(1969~70・河出書房新社) ▽室謙二著『踊る地平線―めりけんじゃっぷ長谷川海太郎伝』(1985・晶文社)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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世界大百科事典内の林不忘の言及

【大衆文学】より

… 1930年代に入ると大衆文学は時代物,現代物,推理物をふくむ幅の広さと多様さを持ち,昭和前期の繁栄を競い合う。1人で3役をこなす文壇のモンスター林不忘・牧逸馬・谷譲次の精力的な活躍に象徴されるような多彩な動きが見られるが,その反面,大衆文学の新しい方向を模索する傾向もあり,吉川英治が《松のや露八》や《かんかん虫は唄ふ》などで示した方向は,やがて《宮本武蔵》(1936‐39)にひとつの収穫をもたらし,股旅ものから脱却した長谷川伸,子母沢寛らの史伝ものへの接近などを生む。直木三十五《南国太平記》,野村胡堂《銭形平次捕物控》,邦枝完二《お伝地獄》,三上於菟吉《雪之丞変化》,鷲尾雨工(わしおうこう)《吉野朝太平記》など,時代小説にも捕物帳,世話物,史伝物,実録物などの幅が生まれ,現代物にも芸道物,明朗物,西欧物,開化物などが現れ,佐々木邦,小島政二郎,山中峯太郎,木村毅,群司次郎正,北村小松,竹田敏彦,浜本浩らが活躍する。…

【丹下左膳】より

…隻眼隻手の超人的怪剣士・丹下左膳が,スクリーン上に初めて登場したのは1928年5月のことである。原作は林不忘(ふぼう)の《大岡政談・鈴川源十郎の巻》で,この映画化が3社競作となったため,日活版の大河内伝次郎,東亜キネマ版の団徳麿,マキノ版の嵐長三郎(のちの嵐寛寿郎)と,同時に3人の丹下左膳が出現した。3本の映画はいずれも《新版大岡政談》という題名で,監督は日活版が伊藤大輔,東亜キネマ版が広瀬五郎,マキノ版が二川文太郎である。…

【ペンネーム】より

… 文芸の資本主義化が成熟すると,今度は2人の作家が一つのペンネームで発表を続けたり(アメリカ推理作家E.クイーン),一作家が二つのペンネームで異なる作風のシリーズを続けたり(イギリス推理作家ディクソン・カー=カーター・ディクソンなど)する多作家が現れる。日本では,昭和初年に林不忘,牧逸馬,谷譲次の三つのペンネームで時代・現代小説を書き分けた長谷川海太郎が《一人三人全集》をのこした。また劇作家岩田豊雄は獅子文六の筆名で大衆小説を書き,太平洋戦争下に本名で書いた作品の戦争協力姿勢を問われてのちは,獅子の盛名に後半生をゆだねる生き方をした。…

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