林不忘(読み)はやしふぼう

精選版 日本国語大辞典 「林不忘」の意味・読み・例文・類語

はやし‐ふぼう【林不忘】

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デジタル大辞泉 「林不忘」の意味・読み・例文・類語

はやし‐ふぼう〔‐フバウ〕【林不忘】

[1900~1935]小説家新潟の生まれ。本名長谷川海太郎谷譲次牧逸馬まきいつま筆名でも作品発表時代小説丹下左膳たんげさぜん」のほか、谷譲次名義の「テキサス無宿」、牧逸馬名義の家庭小説地上の星座」などがある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「林不忘」の意味・わかりやすい解説

林不忘
はやしふぼう
(1900―1935)

小説家。新潟県佐渡の生まれ。本名長谷川(はせがわ)海太郎。小説家の長谷川四郎は弟。函館(はこだて)中学校卒業の直前、中学のストライキ事件に関係したため退校。1918年(大正7)渡米して、7年間アルバイトをしながら英文学を学んだ。帰国後、『探偵文芸』その他に『釘抜(くぎぬき)藤吉捕物覚書』(1925)を発表、27年(昭和2)から『東京日日新聞』に『新版大岡政談・鈴川源十郎の巻』を連載、作家としての地歩を固めた。33年、その続編にあたる『丹下左膳(たんげさぜん)』を『毎日新聞』に連載、片眼片腕の怪剣士、丹下左膳という特異な主人公像を造形して読者の圧倒的な人気を得た。三つの筆名を使い、林不忘では伝奇時代小説を、牧逸馬(まきいつま)では『この太陽』(1930)、『地上星座』(1932)などの推理小説や家庭小説を、谷譲次では『テキサス無宿』(1929)などの「めりけん・じゃっぷもの」を精力的に執筆した。

磯貝勝太郎

『『一人三人全集』全6巻(1969~70・河出書房新社)』『室謙二著『踊る地平線―めりけんじゃっぷ長谷川海太郎伝』(1985・晶文社)』

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改訂新版 世界大百科事典 「林不忘」の意味・わかりやすい解説

林不忘 (はやしふぼう)
生没年:1900-35(明治33-昭和10)

昭和前期の大衆小説家。牧逸馬,谷譲次などの筆名を駆使し大衆文壇の怪物と称された。新潟県佐渡郡相川町の生れ。本名長谷川海太郎。弟の潾二郎は洋画家,濬はロシア文学者,四郎は作家である。新聞人だった父に従って2歳のおり函館に移住,そこで幼少年期をすごしたが,函館中学卒業を前にしてストライキ事件を機に退校し,1918年に単身渡米,働きながら勉強した。24年帰国後,松本泰の紹介で森下雨村を知り,そのすすめで《新青年》にいわゆる〈めりけん・じゃっぷ〉ものを谷譲次の名で発表,さらに牧逸馬名で海外推理小説の翻訳や通俗小説を執筆,林不忘の名では《新版大岡政談》を書き,丹下左膳を創造して文壇の寵児となったが,35歳の若さで急逝した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「林不忘」の意味・わかりやすい解説

林不忘
はやしふぼう

[生]1900.1.16. 新潟,相川
[没]1935.6.29. 鎌倉
小説家。本名,長谷川海太郎。筆名はほかに牧逸馬,谷譲次。 1918年函館中学校を中退してアメリカへ渡り,苦学してオーバーリン大学などに学んだ。 24年に帰国後,まもなく作家活動に入り,林不忘名で時代小説,谷譲次名で在米邦人に取材した「めりけん・じゃっぷもの」,そして牧逸馬名で海外推理小説の翻訳や通俗小説など,3つの筆名を使い分け,幅広い分野で活躍した。隻眼隻手の剣士丹下左膳が主人公の『新版大岡政談』3部作 (林不忘,1927~34) が多くの読者を集め,家庭小説『地上の星座』 (牧逸馬,32~34) ,「めりけん・じゃっぷもの」の短編集『テキサス無宿』 (谷譲次,29) なども好評だった。『一人三人全集』 (16巻,33~35) をもち,文壇のモンスターと呼ばれた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「林不忘」の解説

林不忘 はやし-ふぼう

1900-1935 大正-昭和時代前期の小説家,翻訳家。
明治33年1月17日生まれ。長谷川四郎の兄。函館中学中退後,アメリカで苦学。大正13年帰国し,谷譲次の名で「テキサス無宿」などの「めりけん・じゃっぷ」物を発表。さらに林不忘の名で「丹下左膳」などの時代物を,牧逸馬の名で推理小説や家庭小説「地上の星座」などをかき,翻訳もした。「一人三人全集」がある。昭和10年6月29日死去。36歳。新潟県出身。本名は長谷川海太郎。
【格言など】近代の都会は一個の生物である(「もだん・でかめろん」)

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百科事典マイペディア 「林不忘」の意味・わかりやすい解説

林不忘【はやしふぼう】

小説家。本名長谷川海太郎。長谷川四郎は弟。新潟県生れ。林不忘のほか谷譲次,牧逸馬などの筆名を使い分け,大衆文学の各分野に才筆を振るった。谷譲次名では《テキサス無宿》などの〈めりけん・じゃっぷ〉もの,林不忘名では《丹下左膳》(《新版大岡政談》)の時代もの,牧逸馬名では《この太陽》などの家庭小説がある。35歳の若さで没した。

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世界大百科事典(旧版)内の林不忘の言及

【通航一覧】より

…1853年(嘉永6)幕命により大学頭林韑(あきら)(復斎)が諸外国応接のための資料として編纂した江戸幕府の対外関係の事例集。三河時代から1825年(文政8)の異国船打払令までを含み,本編350巻,付録23巻。本編は関係諸国と長崎に部門を分け,それぞれ項目をたて編年順に関連史料を示す。付録は海防関係。引用史料は広範にわたり,記述は客観的で正確。日本近世の対外関係の基本史料。国書刊行会より刊行。【荒野 泰典】…

【徳川実紀】より

…江戸時代の史書。江戸幕府編纂。516冊(本編447冊,付録68冊,成書例・総目録・引用書目1冊)。大学頭林述斎を総裁とし,成島司直(もとなお)を主任格に20名余の編纂員で撰述し,1809年(文化6)起稿,43年(天保14)に完成。正本献上につづいて副本が作成され,49年(嘉永2)に完成。副本には出典を注記し,林韑(あきら)(復斎),成島良譲(筑山,稼堂)らが従事した。徳川家康から10代家治までの将軍の実紀で,一代ごとに将軍の言行,逸事などを叙述した付録を付してある。…

※「林不忘」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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