林又七(読み)ハヤシマタシチ

デジタル大辞泉 「林又七」の意味・読み・例文・類語

はやし‐またしち【林又七】

[1613?~1699?]江戸前期の装剣金工家。尾張の人。本名、清三郎、または重治。肥後の加藤家・細川家に仕える。巧みな透かしと布目象眼により肥後つば完成者とされ、林派(春日派)の祖となった。

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精選版 日本国語大辞典 「林又七」の意味・読み・例文・類語

はやし‐またしち【林又七】

  1. 江戸初期の鐔師(つばし)。肥後金工春日派の祖。名は重治、のち重吉。又七は通称。細川家に仕え、斬新な意匠透彫と精緻な象嵌(ぞうがん)特色のある肥後鐔(つば)を完成。代表作「破扇桜文鐔」「鶴丸文透鐔」など。生没年未詳。

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改訂新版 世界大百科事典 「林又七」の意味・わかりやすい解説

林又七 (はやしまたしち)
生没年:1605-91(慶長10-元禄4)

江戸時代の鐔工。名は重治。鉄砲工林清兵衛の次男として生まれる。はじめ重吉と名乗り,鉄砲工として加藤清正に仕えていたが,加藤家改易後,肥後熊本藩主となった細川忠利に抱えられ,鐔工に転じて肥後鐔を完成した。林一派は同国飽田郡春日村に住したので春日派ともいわれ,平田西垣,志水の3家とともに肥後金工の四大派を形成したが,林家はその主流をなし,とくに又七は肥後金工の祖といわれている。又七の作風は鉄の鍛(きたえ)が抜群によく,美しい色合いを呈し,斬新で精緻な透彫と布目象嵌に大きな特色があり,実用性と装飾性をみごとに調和させている。透しの意匠化は,細川家の家紋である九曜紋に桜,遠見松,桐,竹,鶴,蕨手などが多い。代表作には〈桜九曜文透象嵌鐔〉〈破扇図象嵌鐔〉(ともに重文)がある。林一派は2代重光,3代藤八,4代重次,5代又平,6代又八,7代藤七と幕末まで連綿と続いた。
彫金
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「林又七」の意味・わかりやすい解説

林又七
はやしまたしち

没年未詳。江戸前期の装剣金工。肥後(熊本県)細川家の庇護(ひご)により栄えた「肥後金工」中の代表工の1人。尾張(おわり)出身の鉄砲工・清兵衛勝光(かつみつ)の次男で、名は重治(しげはる)。生年については1605年(慶長10)あるいは13年説、没年は1688年(元禄1)、91年、99年などの諸説がある。父は加藤清正に従って肥後に移住。加藤家改易後、細川家が肥後に入ると、又七は三斎忠興(さんさいただおき)により二十人扶持(ぶち)で抱えられ、装剣金具の制作に励んで肥後鐔(つば)を完成した。1647年(正保4)に同国春日(かすが)村に住したところから春日派の呼称がある。作品は鉄鐔(てつつば)を得意とし、鉄錆(さび)のよさに加えて金象眼(ぞうがん)の巧みさと精巧な透しに定評がある。重要文化財の「破扇(はせん)桜象眼鐔」「桜九曜文透象眼鐔」をはじめ、遠見松透、投桐(なげぎり)透、御紋透など透鐔の作が多い。又七を祖とした林一派は幕末まで連綿と続き、平田、西垣、志水の三家とともに肥後金工の四大派を形成し、その主流をなした。

[小笠原信夫]

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朝日日本歴史人物事典 「林又七」の解説

林又七

没年:元禄4(1691)
生年:慶長10(1605)
江戸前期の刀装金工家で,肥後金工を代表する名工。生没年については慶長18(1613)~元禄12(1699)とする説もある。鉄砲鍛冶林清兵衛の次男。幼名は清三郎,のちに重治さらに重吉と改名した。はじめ肥後(熊本)藩主加藤家に仕え,寛永9(1632)年加藤家改易後には細川家に仕え,同家の抱え工となった。父の故郷尾張(愛知県)の透鐔の影響を強く受け,これに京正阿弥家の象嵌技法を取り入れた精緻な透かし彫りと布目象嵌で独自の境地を開き,肥後金工の中に林派の地位を築き上げた。代表作に重要文化財「破扇図鐔」や「桜・九曜文透鐔」(ともに個人蔵)がある。林派は長男で2代目を継いだ重光以降,幕末期の7代藤七まで続いて隆盛を誇った。

(加島勝)

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百科事典マイペディア 「林又七」の意味・わかりやすい解説

林又七【はやしまたしち】

江戸初期の鐔(たん)工。名は重治のち重吉。細川侯に仕えて,尾張透鐔(すかしつば)に工夫を加え,肥後鐔を完成した。精美な地鉄に精巧な象嵌(ぞうがん)を施したものが多い。代表作は破扇散図鐔。肥後国春日村に住したので春日派といい,代々続いた。
→関連項目鐔/鍔

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「林又七」の解説

林又七 はやし-またしち

1613-1699 江戸時代前期の装剣金工。
慶長18年生まれ。肥後金工春日派林家の祖。肥後熊本藩主細川家にめしかかえられ,肥後鐔(つば)を完成した。元禄(げんろく)12年8月26日死去。87歳。生年は慶長10年,没年は元禄4年とする説もある。名は重治,重吉。代表作に「桜九曜文透象嵌(すかしぞうがん)鐔」「破扇図象嵌鐔」など。

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367日誕生日大事典 「林又七」の解説

林又七 (はやしまたしち)

生年月日:1605年8月13日
江戸時代前期の刀装金工家
1691年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「林又七」の意味・わかりやすい解説

林又七
はやしまたしち

肥後派」のページをご覧ください。

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