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林又七 ハヤシマタシチ

デジタル大辞泉の解説

はやし‐またしち【林又七】

[1613?~1699?]江戸前期の装剣金工家。尾張の人。本名、清三郎、または重治。肥後の加藤家・細川家に仕える。巧みな透かしと布目象眼により肥後鐔(つば)の完成者とされ、派(春日派)の祖となった。

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百科事典マイペディアの解説

林又七【はやしまたしち】

江戸初期の鐔(たん)工。名は重治のち重吉。細川侯に仕えて,尾張透鐔(すかしつば)に工夫を加え,肥後鐔を完成した。精美な地鉄に精巧な象嵌(ぞうがん)を施したものが多い。
→関連項目鐔/鍔

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

林又七 はやし-またしち

1613-1699 江戸時代前期の装剣金工。
慶長18年生まれ。肥後金工春日派林家の祖。肥後熊本藩主細川家にめしかかえられ,肥後鐔(つば)を完成した。元禄(げんろく)12年8月26日死去。87歳。生年慶長10年,没年は元禄4年とする説もある。名は重治,重吉。代表作に「桜九曜文透象嵌(すかしぞうがん)鐔」「破扇図象嵌鐔」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

林又七

没年:元禄4(1691)
生年:慶長10(1605)
江戸前期の刀装金工家で,肥後金工を代表する名工生没年については慶長18(1613)~元禄12(1699)とする説もある。鉄砲鍛冶林清兵衛の次男。幼名は清三郎,のちに重治さらに重吉と改名した。はじめ肥後(熊本)藩主加藤家に仕え,寛永9(1632)年加藤家改易後には細川家に仕え,同家の抱え工となった。父の故郷尾張(愛知県)の透鐔の影響を強く受け,これに京正阿弥家の象嵌技法を取り入れた精緻な透かし彫りと布目象嵌で独自の境地を開き,肥後金工の中に林派の地位を築き上げた。代表作に重要文化財「破扇図鐔」や「桜・九曜文透鐔」(ともに個人蔵)がある。林派は長男で2代目を継いだ重光以降,幕末期の7代藤七まで続いて隆盛を誇った。

(加島勝)

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世界大百科事典 第2版の解説

はやしまたしち【林又七】

1605‐91(慶長10‐元禄4)
江戸時代の鐔工。名は重治。鉄砲工林清兵衛の次男として生まれる。はじめ重吉と名乗り,鉄砲工として加藤清正に仕えていたが,加藤家改易後,肥後熊本藩主となった細川忠利に抱えられ,鐔工に転じて肥後鐔を完成した。林一派は同国飽田郡春日村に住したので春日派ともいわれ,平田,西垣,志水の3家とともに肥後金工の四大派を形成したが,林家はその主流をなし,とくに又七は肥後金工の祖といわれている。又七の作風は鉄の鍛(きたえ)が抜群によく,美しい色合いを呈し,斬新で精緻な透彫と布目象嵌に大きな特色があり,実用性と装飾性をみごとに調和させている。

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大辞林 第三版の解説

はやしまたしち【林又七】

1605?~1691?) 江戸前期の金工。尾張の人。本名、清三郎重吉、また重治。代々の鉄砲師・鐔工たんこうの家に生まれ、肥後熊本の加藤家・細川家に仕える。地鉄じがねのよさと高雅な作風により、肥後金工の中心的存在。春日派の祖。二代重光・三代藤八も名工。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

林又七
はやしまたしち

肥後派」のページをご覧ください。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

林又七
はやしまたしち

生没年未詳。江戸前期の装剣金工。肥後(熊本県)細川家の庇護(ひご)により栄えた「肥後金工」中の代表工の1人。尾張(おわり)出身の鉄砲工・清兵衛勝光(かつみつ)の次男で、名は重治(しげはる)。生年については1605年(慶長10)あるいは13年説、没年は1688年(元禄1)、91年、99年などの諸説がある。父は加藤清正に従って肥後に移住。加藤家改易後、細川家が肥後に入ると、又七は三斎忠興(さんさいただおき)により二十人扶持(ぶち)で抱えられ、装剣金具の制作に励んで肥後鐔(つば)を完成した。1647年(正保4)に同国春日(かすが)村に住したところから春日派の呼称がある。作品は鉄鐔(てつつば)を得意とし、鉄錆(さび)のよさに加えて金象眼(ぞうがん)の巧みさと精巧な透しに定評がある。重要文化財の「破扇(はせん)桜象眼鐔」「桜九曜文透象眼鐔」をはじめ、遠見松透、投桐(なげぎり)透、御紋透など透鐔の作が多い。又七を祖とした林一派は幕末まで連綿と続き、平田、西垣、志水の三家とともに肥後金工の四大派を形成し、その主流をなした。[小笠原信夫]

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367日誕生日大事典の解説

林又七 (はやしまたしち)

生年月日:1605年8月13日
江戸時代前期の刀装金工家
1691年没

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世界大百科事典内の林又七の言及

【金属工芸】より


[近世から近代へ]
 桃山時代から江戸時代初期には,釘隠(くぎかくし)や襖の引手など建築金物と,刀剣装具にみるべきものが多い。この時代の装剣金工家として,天正大判を作った後藤家5代徳乗,真鍮地の鐔に金,銀,赤銅(しやくどう)などを象嵌して独自の作風をあらわした埋忠(うめただ)明寿,布目象嵌で細密な技巧を示した林又七らがいる。これに続いて横谷宗珉,土屋安親,奈良利寿(としなが)などの名工が現れた。…

※「林又七」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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