枝幸(読み)えさし

改訂新版 世界大百科事典 「枝幸」の意味・わかりやすい解説

枝幸[町] (えさし)

北海道北部,宗谷支庁枝幸郡の町。2006年3月歌登(うたのぼり)町と旧枝幸町が合体して成立した。人口9125(2010)。

枝幸町西部の旧町。宗谷支庁枝幸郡所属。人口2281(2005)。北見山地北部のオホーツク海斜面にあたり,沿岸沿いの旧枝幸町との間を標高300~500mの山嶺が分けている。この山嶺を切って幌別川と徳志別川が流下し,歌登市街は幌別川河岸に位置する。1893年以降入植者があったが,98年幌別川支流パンケナイ川沿いの地で発見された砂金は枝幸郡一帯の砂金ラッシュのはしりとなり,入植者は耕作を放棄したが,1908年石川県人団体の入植後開拓の定着をみた。町域の大半森林で,河川沿いに畑が開かれ,現在の農業は酪農を主体とし,畑作物ではジャガイモ,センサイの作付けが多い。

枝幸町東部の旧町。宗谷支庁枝幸郡所属。人口7534(2005)。港は地方港湾に指定され,オホーツク海岸北部の主要漁港で,冷凍工場など加工施設があり,サケ,ケガニ,ホタテガイズワイガニなどが漁獲される。1898年以降,枝幸郡各地で砂金採取が行われ,そのゴールドラッシュで市街地は栄え,1920年前後には木材ブームにわいた。町域の大半を占める林野は,乱伐や山火事で当初の林相を変えたが,長期的な森林造成が進められている。農業の定着は遅く,バレイショや雑穀の畑作が主であったが,56年以降,酪農への転換が推進されている。育成牛のための大規模草地は観光面からも脚光を浴び,神威(かむい)岬とウスタイベ千畳岩は北オホーツク道立自然公園に指定されている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「枝幸」の意味・わかりやすい解説

枝幸(町)
えさし

北海道北部、宗谷(そうや)総合振興局管内の町。1947年(昭和22)町制施行。2006年(平成18)、枝幸郡歌登町(うたのぼりちょう)と合併。国道238号が通じる。旧国鉄興浜南線(こうひんなんせん)・興浜北線と美幸線(びこうせん)が通じていたが、1985年廃止された。枝幸港はオホーツク海岸北部の主要漁港で、サケ漁のほかケガニ、ホタテガイなどの沖合漁業、ズワイガニ、スケトウダラなどの北洋漁業の基地となっているが、沿岸・沖合漁業の衰退で漁場整備やサケ・ホタテ放流が行われている。冷凍工場などの水産物の加工施設もある。農業は酪農を主とし、乳牛育成用の大規模草地がある。山火事と乱伐で当初の林相は変貌(へんぼう)したが、息の長い森林造成が進められている。北に接する浜頓別(はまとんべつ)町との境にある北見神威(きたみかむい)岬や枝幸港北部のウスタイベ千畳岩は北オホーツク道立自然公園に含まれる。面積1115.93平方キロメートル(一部境界未定)、人口7565(2020)。

[岡本次郎]


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百科事典マイペディア 「枝幸」の意味・わかりやすい解説

枝幸[町]【えさし】

北海道北部,枝幸郡の町。オホーツク海に面する。明治時代砂金の採取で繁栄した。サケ,マス,ニシン,カニを漁獲,サケ,マスなどの放流事業も行う。水産加工が盛んで,酪農も行われる。2006年3月枝幸郡歌登町を編入。1115.93km2。9125人(2010)。

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