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柳原紀光 やなぎわら のりみつ(もとみつ)

美術人名辞典の解説

柳原紀光

江戸中期の公卿。光綱の男。初名光房、字は藤蔓。権大納言正二位に至る。落飾して暁寂と号する。『讀史愚抄』八一冊の著書。寛政12年(1800)歿、55才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

柳原紀光 やなぎわら-もとみつ

1746-1800 江戸時代中期-後期の公卿(くぎょう)。
延享3年11月14日生まれ。正二位,権(ごんの)大納言にすすむが,天明8年以後は出仕せず,亀山(かめやま)天皇から後桃園天皇にいたる編年史「続史愚抄」を編修した。寛政9年出家し暁寂と号した。寛政12年1月3日死去。55歳。著作に「閑窓自語」など。
【格言など】みはかくてしづみはつらし後の世に残さむ書の名をばとどめて(遺詠)

柳原紀光 やなぎわら-のりみつ

やなぎわら-もとみつ

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

柳原紀光

没年:寛政12.1.3(1801.1.27)
生年:延享3.11.14(1746.12.25)
江戸時代の公家。権大納言柳原光綱の子。安永4(1775)年権大納言となったが,7年事により免官,さらに寛政8(1796)年しばしば身分不相応の行いがあったとして永蟄居,以て死去におよんだ。この間その才識を傾注して大著『続史愚抄』(亀山天皇より後桃園天皇に至る編年史。1777年起稿,1798年脱稿)を編集した。「みはかくてしづみはつらし後の世に 残さむ書の名をばとどめて」との遺詠に晩年の心情がしのばれよう。随筆に『閑窓自語』がある。<参考文献>是沢恭三「続史愚抄」(『日本歴史』194号)

(武部敏夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

やなぎはらもとみつ【柳原紀光】

1746‐1800(延享3‐寛政12)
江戸後期の公卿。〈のりみつ〉は誤り。権大納言光綱の子。初名は光房,出家し暁寂と号する。1756年(宝暦6)元服。累進して75年(安永4)権大納言となる。順調な昇進を遂げたが,78年6月,事により解官勅勘を被る。翌々月には許されたが,みずから官途を絶って出仕することなく,亡父遺志を継いで国史編纂に力を尽くし,98年(寛政10)まで前後22年間を要して《続史愚抄》81冊を著した。日記に《愚紳》,随筆に《閑窓自語》がある。

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367日誕生日大事典の解説

柳原紀光 (やなぎはらもとみつ)

生年月日:1746年11月14日
江戸時代中期;後期の公家
1801年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典内の柳原紀光の言及

【続史愚抄】より

…1777‐98年(安永6‐寛政10)の成立。柳原紀光(もとみつ)の編纂。《日本三代実録》以後の国史編述を目的とするものであったが,宇多天皇(在位887‐97)から後深草天皇(在位1246‐59)に至る31代は成立しなかった。…

【柳原家】より

…藤原氏北家冬嗣の兄真夏の子孫で,日野家の支流。〈やなぎわらけ〉ともいう。権大納言日野俊光の四男権大納言資明(すけあき)を祖とし,鎌倉末期に創立された。柳原資明は日野資朝の弟で,長兄資名が光厳天皇の寵臣であったため,北朝に仕えて勢力を張り,柳原殿に住したのにちなんで柳原を姓とした。世々紀伝道をもって出身し,多くは文章博士に任ぜられたが,1471年(文明3)量光が文章博士に任じたのを最後に紀伝道を世襲する伝統が断絶した。…

※「柳原紀光」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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