デジタル大辞泉
「柳家金語楼」の意味・読み・例文・類語
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やなぎや‐きんごろう【柳家金語楼】
- 落語家。俳優。東京の生まれ。本名、山下敬太郎。始め二代目三遊亭金馬に弟子入り。のち三代目柳家小さん門下。兵隊落語で評判になる。有崎勉の筆名で多くの新作落語を書き、喜劇俳優としても活躍した。明治三四年~昭和四七年(一九〇一‐七二)
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柳家 金語楼
ヤナギヤ キンゴロウ
- 職業
- 落語家 喜劇俳優
- 本名
- 山下 敬太郎
- 別名
- 前名=三遊亭 金登喜,三遊亭 小金馬,柳家 金三,筆名=有崎 勉
- 生年月日
- 明治34年 3月13日
- 出生地
- 東京市 芝区(東京都 港区)
- 経歴
- 生家は東京・芝の葉茶屋・山下園。芸事好きの一家で、実弟の昔々亭桃太郎も落語家。明治40年三遊亭金登喜を名乗って弱冠6歳で品川の寄席・古今亭に上がり、見よう見まねの小噺やかっぽれを演じて好評を博した。これが縁となり、父と2代目三遊亭金馬に入門。大正2年三遊亭小金馬を経て、9年3代目柳家小さんの門下に移り柳家金三で真打ちに昇進。10年朝鮮羅南七三連隊に入隊するが、間もなく紫斑病に冒されて頭髪が抜け落ち、後年のトレードマークとなる禿頭が出来上がった。除隊後は兄弟子に当たる初代柳家三語楼の門下となり、13年柳家金語楼に改名。軍隊生活時代の体験をもとにした「噺家の兵隊」が大ヒット。寄席だけでなく曽我廼家五九郎の喜劇やラジオ、映画にも出演し、昭和3年金語楼ジャズバンドを結成してジャズをバックに小噺や踊りを見せるなど、優れた笑いのセンスで一躍時代の寵児となった。しかし、関西の吉本興業との提携やラジオへの出演などが関東の席亭や師・三語楼らとの軋轢を生み、東京の寄席に上がりにくくなったため、昭和5年6代目春風亭柳橋らと日本芸術協会(落語芸術協会)を結成し、副会長に就任した(のち脱退)。10年自作を映画化した「俺は水兵」で初主演。13年より吉本興業に所属して喜劇俳優への転換を図り、自慢の禿頭を売りに舞台や映画で活躍。15年独立して金語楼劇団を結成、また“わらわし隊”に参加するなど戦地の慰問にも積極的に訪れた。戦時中の17年に落語家の鑑札を返上したことから戦後は寄席から離れ、また、フリーになったこともあいまって年20本以上の喜劇映画に出演。さらに金星プロダクションを設立し、28年のテレビ開局とともにはじまったNHKのクイズ番組「ジェスチャー」では白組キャプテンを43年の番組終了まで続け、お茶の間に親しまれた。また、ドラマ「おトラさん」では脚色と主演を手がけ、35年には徳川夢声と共演したNHKの世相風刺番組「こんにゃく問答」でNHK放送文化賞を受賞。自身の禿頭を商標登録するなど奇抜な逸話も数多く、一貫してユニークなタレントとして活躍した。43年榎本健一の後任として日本喜劇人協会会長に就任し、47年まで在職。晩年は再び高座にも上がり、東宝演芸場や三越落語名人会に出演した。有崎勉の筆名で新作落語も作り、「酒は乱れとぶ」「バスガール」「乗車券」「ラーメン屋」をはじめとして作品は1000以上といわれる。42年紫綬褒章、49年勲四等旭日小綬章を受章。発明家としても知られ、特許取得件数も約40点に上るが、中には前後で歯の高さが違う坂道昇降用ゲタ、暗がりでもお金が拾える電球付き靴などのユニークな発明品もある。弟子に柳家緑朗(のち漫才師・リーガル千太)らがいる。主な出演作に、映画「金語楼の大番頭」「金語楼のむすめ物語」「誰がために金はある」「珍説忠臣蔵」「芸者ワルツ」「チャッカリ夫人とウッカリ夫人」「親馬鹿花合戦」や〈おトラさん〉シリーズなどがある。
- 受賞
- 紫綬褒章〔昭和42年〕,勲四等旭日小綬章〔昭和47年〕 NHK放送文化賞〔昭和35年〕
- 没年月日
- 昭和47年 10月22日 (1972年)
- 家族
- 長男=山下 武(随筆家),二男=山下 敬二郎(ロカビリー歌手),三女=有崎 由見子(女優),父=三遊亭 金翁(落語家),弟=昔々亭 桃太郎(落語家)
- 親族
- 姪=小桜 京子(女優)
- 伝記
- 談志 最後の落語論戦時演芸慰問団「わらわし隊」の記録―芸人たちが見た日中戦争忘れえぬ落語家たち鳴呼、懐かしの金語楼落語家の居場所―わが愛する芸人たち地球の上に朝がくるなつかしい芸人たち 立川 談志 著早坂 隆 著興津 要 著山下 武 著矢野 誠一 著池内 紀 著色川 武大 著(発行元 梧桐書院中央公論新社河出書房新社小学館日本経済新聞社筑摩書房新潮社 ’09’08’08’00’97’92’89発行)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
柳家 金語楼
ヤナギヤ キンゴロウ
大正・昭和期の喜劇俳優,落語家,演芸作家
- 生年
- 明治34(1901)年3月13日
- 没年
- 昭和47(1972)年10月22日
- 出生地
- 東京・芝
- 本名
- 山下 敬太郎
- 別名
- 筆名=有崎 勉
- 経歴
- 三語楼門下として少年時代から高座にのぼり、大正9年柳家金三で真打ち、13年柳家金語楼を名のる。同年朝鮮羅南の第73連隊に入隊、その時の体験をもとにした自作「兵隊落語」で人気を博し、一躍スターとなる。昭和5年日本芸術協会を結成。13年より吉本興業に所属し、落語をはなれ、喜劇俳優として、舞台、映画に数多く出演。戦後はテレビ開局とともに「ジェスチャー」「おトラさん」「こんにゃく問答」などでユニークなタレントとして活躍した。また、有崎勉の筆名で1000以上の新作落語を作った。発明家としても知られる才人。
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柳家金語楼 (やなぎやきんごろう)
生没年:1901-72(明治34-昭和47)
落語家。喜劇俳優。本名山下敬太郎。筆名有崎勉(ありさきつとむ)。東京生れ。2代三遊亭金馬門下金勝(きんしよう)の子。6歳で豆落語家金登喜(きんとき)として高座に上がり,小金馬を経て金三(きんざ)で真打ちに昇進した。兵隊をつとめたのち,新作の《兵隊》で人気者となり,金語楼襲名後も自作自演の新作で新境地を開いた。1930年(昭和5),春風亭柳橋と〈日本芸術協会〉を設立した。喜劇俳優としても,舞台,映画,テレビに活躍し,〈喜劇人協会〉会長もつとめた。
執筆者:興津 要
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柳家金語楼 やなぎや-きんごろう
1901-1972 大正-昭和時代の落語家,喜劇俳優。
明治34年3月13日生まれ。昔々亭(せきせきてい)桃太郎の兄。2代三遊亭金馬に入門。自作の兵隊落語が好評をえる。昭和15年金語楼劇団を結成し,舞台,映画に活躍。戦後はテレビにも進出した。落語作家,発明家としても知られる。43年喜劇人協会会長。子供に作家・演出家の山下武,ロカビリー歌手の山下敬二郎,女優の有崎由見子。昭和47年10月22日死去。71歳。東京出身。本名は山下敬太郎。筆名は有崎勉。
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柳家金語楼
やなぎやきんごろう
[生]1901.3.14. 東京
[没]1972.10.22. 東京
落語家,喜劇人。本名山下敬太郎。父の金勝とともに3世三遊亭金馬の門下で,6歳から高座に上った。小金馬,金三を経て,朝鮮で1年半の軍隊生活をおくった。除隊後その体験を落語化した『兵隊』とそれに続く兵隊物の劇や,ラジオ・レコードの語りで一躍有名になった。 1939年金語楼劇団をつくり,映画,舞台,放送に活躍。第2次世界大戦後もテレビの喜劇タレントとして息の長い人気を保った。 68年喜劇人協会の2代目会長。有崎勉のペンネームで 600本に上る新作落語を書いた。
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柳家金語楼
やなぎやきんごろう
(1901―1972)
落語家、喜劇俳優。本名山下敬太郎。東京に生まれる。父の金勝(きんしょう)とともに2代目三遊亭金馬門下。金登喜(きんとき)から小金馬(こきんば)となり、師没後に3代目柳家小さん門下となり、金三(きんざ)で真打。大正末から昭和初期にかけて兵隊の体験を生かした「兵隊落語」で売り、金語楼襲名後も自作自演の新作(筆名有崎勉)で活躍。1930年(昭和5)春風亭柳橋と「日本芸術協会」設立。38年に喜劇俳優に転向し、40年に「金語楼劇団」を結成した。舞台、映画、テレビに大活躍し、「喜劇人協会」の会長も務めた。
[関山和夫]
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柳家金語楼【やなぎやきんごろう】
落語家,喜劇俳優。本名山下敬太郎,筆名有崎勉。東京に生まれ,6歳で父,金勝とともに寄席(よせ)に出た。陸軍入隊の経験から〈兵隊落語〉を編み出し人気を博し,さらに多くの自作・自演の新作を発表,落語界に新風を送った。また喜劇俳優として舞台,映画,テレビに活躍,日本喜劇人協会長を務めた。
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柳家 金語楼 (やなぎや きんごろう)
生年月日:1901年3月13日
大正時代;昭和時代の落語家;喜劇俳優
1972年没
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