春風亭柳橋(読み)シュンプウテイリュウキョウ

デジタル大辞泉 「春風亭柳橋」の意味・読み・例文・類語

しゅんぷうてい‐りゅうきょう〔‐リウケウ〕【春風亭柳橋】

[1899~1979]落語家初世東京の生まれ。本名、渡辺金太郎。昭和5年(1930)柳家金語楼らと日本芸術協会設立古典落語ラジオで紹介した。

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「春風亭柳橋」の解説

春風亭 柳橋(6代目)
シュンプウテイ リュウキョウ


職業
落語

肩書
日本芸術協会会長

本名
渡辺 金太郎

別名
前名=春風亭 柳童,春風亭 枝雀,春風亭 柏枝(7代目),春風亭 小柳枝(4代目)

生年月日
明治32年 10月15日

出生地
東京市 本郷区本郷森川町(東京都 文京区)

経歴
明治42年11歳で4代目春風亭柳枝に入門、柳童。大正4年枝雀に改名したのを経て、6年7代目春風亭柏枝で真打ち昇進。期待の若手として人気を集め、師が落語睦会を結成すると、若手が不足していたことから抜擢され、10年4代目春風亭小柳枝、15年6代目春風亭柳橋襲名。なお、柳橋の名はそれまで麗々亭の亭号を称していたが、以降は春風亭に変更となった。同時期に睦会で真打ちになった8代目桂文楽、桂小文治、3代目春風亭柳好とともに“睦の四天王”といわれたが、昭和5年柳家金語楼らと日本芸術協会(落語芸術協会)を設立して会長に就任。「うどん屋」を「支那そば屋」に改作したり、「掛取万才」に早慶戦を挿入したりするなど、古典落語を現代風にアレンジし、レコードやラジオなど当時最新のメディアを積極的に取り入れて昭和の名人といわれた。また、江戸訛りに代わる標準語の口調を用い、落語のさらなる大衆化にも貢献。戦後NHKラジオの人気番組「とんち教室」のレギュラーとして親しまれた。24年「時そば」で放送芸術祭賞を受賞。42年紫綬褒章、48年勲四等旭日小綬章を受章。49年それまで40年以上にわたり在職していた落語芸術協会会長職を辞し、相談役に退く。3代目柳家小さん譲りの噺を好み、得意の演目に「天災」「碁どろ」「三味線栗毛」「青菜」「大山詣り」「猫久」など。弟子に3代目桂三木助、4代目柳亭痴楽、春風亭柳昇、7代目春風亭小柳枝らがいる。自伝「高座五十年」がある。

受賞
紫綬褒章〔昭和42年〕,勲四等旭日小綬章〔昭和48年〕 放送芸術祭賞〔昭和24年〕,NHK放送文化賞(昭29年度)〔昭和30年〕,芸能功労者表彰〔昭和54年〕

没年月日
昭和54年 5月16日 (1979年)

伝記
もう一度学びたい落語のすべて談志絶倒 昭和落語家伝落語―知れば知るほど対談 落語芸談〈PART3〉貞丈のお笑い芸界銘々伝落語長屋の知恵 大友 浩 監修立川 談志 著,田島 謹之助 写真橘 左近 著川戸 貞吉 編一龍斎 貞丈 著矢野 誠一 著(発行元 西東社大和書房実業之日本社弘文出版日本デザインクリエーターズカンパニー青蛙房 ’08’07’07’93’90’86発行)


春風亭 柳橋(7代目)
シュンプウテイ リュウキョウ


職業
落語家

肩書
落語芸術協会副会長

本名
駒木根 正男(コマキネ マサオ)

旧名・旧姓
栗原

別名
前名=桂 木久男(カツラ キクオ),桂 木久助(カツラ キクスケ),春風亭 愛橋(シュンプウテイ アイキョウ),春風亭 柏枝(8代目)(シュンプウテイ ハクシ)

生年月日
昭和10年 8月12日

出生地
東京市 荒川区日暮里(東京都)

学歴
池袋二中〔昭和27年〕卒

経歴
昭和27年3代目桂三木助に入門、木久夫を名乗る。31年二ツ目に昇進して木久助、34年師匠の芸術協会脱会に伴い、6代目柳橋門下に移って春風亭愛橋と改名、39年8代目柏枝を襲名して真打ちに昇進。57年7代目柳橋を襲名。平成16年落語芸術協会副会長に就任。「芝浜」「引越の夢」「崇徳院」などを得意とした。

所属団体
落語芸術協会,日本演芸家連合

受賞
芸術祭賞優秀賞〔昭和49年〕

没年月日
平成16年 10月31日 (2004年)

伝記
七代目春風亭柳橋 お直し七代目春風亭柳橋―至福の古典落語 鈴木 直 編鈴木 直 編(発行元 青蛙房青蛙房 ’08’06発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「春風亭柳橋」の意味・わかりやすい解説

春風亭柳橋
しゅんぷうていりゅうきょう

落語家。5代までは麗々亭(れいれいてい)と称した。

麗々亭初代

(?―1840)初代船遊亭扇橋門下。人情噺(ばなし)の祖と称した。柳派の開祖。

[関山和夫]

麗々亭2代

生没年不詳。初代門人。柳舎、柳女、昔々亭桃流(せきせきていとうりゅう)を経て柳橋。

[関山和夫]

麗々亭3代

(1827―94)本名斎藤文吉。滝川鯉(たきかわり)かん門下で鯉の助(こいのすけ)。2代柳橋に従い昔々亭桃流から3代襲名。のち春錦亭柳桜(しゅんきんていりゅうおう)と改名。人情噺の名人で、『髪結新三(かみゆいしんざ)』(白子屋政談)はとくに有名。

[関山和夫]

麗々亭4代

(1860―1900)本名斎藤亀吉。3代の長男。道具入り人情噺を得意とした。

[関山和夫]

麗々亭5代

(1873―1923)本名斎藤久吉。4代の実弟。座り踊りが好評。関東大震災で死亡。

[関山和夫]

初代

(1899―1979)本名渡辺金太郎。4代春風亭柳枝門下で、柳童、枝雀(しじゃく)、柏枝(はくし)、小柳枝を経て、1927年(昭和2)柳橋を襲名、5代までの麗々亭を春風亭と改めた。30年日本芸術協会を創立し、『時そば』などで人気を集め、NHKの「とんち教室」をはじめマスコミでも活躍した。2代(1935―2004)は本名駒木根正男。3代桂三木助(かつらみきすけ)門から初代門下となり、愛橋、柏枝を経て82年(昭和57)2代目を襲名。

[関山和夫]

『渡辺金太郎著『高座五十年――伝記・春風亭柳橋』(1998・大空社)』

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20世紀日本人名事典 「春風亭柳橋」の解説

春風亭 柳橋(6代目)
シュンプウテイ リュウキョウ

大正・昭和期の落語家 日本芸術協会会長。



生年
明治32(1899)年10月15日

没年
昭和54(1979)年5月16日

出生地
東京市本郷区本郷森川町(現・東京都文京区)

本名
渡辺 金太郎

別名
前名=春風亭 柳童,春風亭 枝雀,春風亭 柏枝(7代目),春風亭 小柳枝(4代目)

主な受賞名〔年〕
NHK放送文化賞(昭29年度)〔昭和30年〕,紫綬褒章〔昭和42年〕,勲四等旭日小綬章〔昭和48年〕,芸能功労者表彰〔昭和54年〕

経歴
11歳で4代目春風亭柳枝に入門、明治42年に柳童の名で初高座。15歳で枝雀、大正6年17歳の時柏枝で真打。10年に4代目小柳枝、15年2年6代目柳橋を襲名。この時亭号を麗々亭から春風亭に変更。昭和5年柳家金語楼らと日本芸術協会を設立して会長となり、49年までその席に君臨した。古典のほか新作物にも力を入れ、「うどん屋」を改作した「支那そば屋」や早慶戦を挿入した「掛取万才」などを生み出した。江戸訛りに代わる標準語の口調で落語の大衆化に貢献した。得意の演目に「時そば」「天災」「三味線栗毛」などがある。戦後はNHKラジオの人気番組「とんち教室」のレギュラーで活躍。自伝「高座五十年」「柳橋の名作落語」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「春風亭柳橋」の解説

春風亭柳橋(6代) しゅんぷうてい-りゅうきょう

1899-1979 大正-昭和時代の落語家。
明治32年10月15日生まれ。4代春風亭柳枝に入門し,柏枝,小柳枝をへて,大正15年6代柳橋を襲名し,亭号を5代までの麗々亭から春風亭にあらためた。のち柳家金語楼らと日本芸術協会を結成。NHKラジオ「とんち教室」でも活躍した。昭和54年5月16日死去。79歳。東京出身。本名は渡辺金太郎。著作に「高座五十年」。

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367日誕生日大事典 「春風亭柳橋」の解説

春風亭 柳橋(6代目) (しゅんぷうてい りゅうきょう)

生年月日:1899年10月15日
大正時代;昭和時代の落語家
1979年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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