出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
高松市栗林町にある県立公園。かつては栗林園とよばれた、わが国の代表的回遊式大名庭園。紫雲山(しうんざん)東麓(とうろく)に位置し、西湖、南湖、北湖、涵翠池(かんすいち)、芙蓉池(ふようち)、潺湲池(せんがんち)の六大水局、および飛来峰(ひらいほう)、小普陀(しょうふだ)、飛猿巌(ひえんがん)など十三大山坡(さんぱ)を配置し、園全体に60余景が包含されている。総面積は約75万平方メートルである。
この地は室町時代のころ、南部の小普陀付近に普陀落寺(ふだらくじ)とその庭園があり、桃山時代には生駒親正(いこまちかまさ)の臣佐藤道益(みちます)の邸となった。生駒氏時代の庭園は現在の南湖全体、とくに飛猿巌付近がもっとも古く、これが当園の基盤になっている。しかし、本格的な大名庭園として整備されるのは江戸初期の1642年(寛永19)、徳川光圀(みつくに)の実兄頼房(よりふさ)の長男松平頼重(よりしげ)が移封されてからである。頼重は73年(延宝1)に隠退するや本園改造に着手した模様で、以後代々改修が続けられ、5代頼恭(よりちか)の1745年(延享2)に本園の古絵図ができているから、全庭の完成はそのころと考えられる。明治維新後、一時私有化されて荒廃したが、1875年(明治8)県有地となり、85年には県立公園として一般公開されるに至った。1953年(昭和28)特別名勝に指定。回遊の風景の変化を楽しむ庭であるが、多数の松林のみごとさは特筆すべきものがあり、石組(いわぐみ)では、南湖の中島の一つ天女島のものと、仙磯とよばれる岩島、掬月亭(きくげつてい)左方の七福神と称される石組などに優れた手法がみられる。
[重森完途]
高松市栗林町にあり,紫雲山を背景として面積75万m2余を占める大庭園。特別名勝に指定され,瀬戸内海国立公園の一部となっている。高松の最初の藩主生駒氏の時代には御林(おはやし)と呼ばれた御用林があり,備荒のためにクリの木が植えられていた。その中の下屋敷が栗林荘の前身である。1642年(寛永19)藩主となった松平頼重は栗林荘を改修し,64年(寛文4)ここに隠退した。南湖に臨む大茶屋(掬月(きくげつ)亭)はこのころに営まれ,さらに庭を北へと拡張した。その後も代々改修がつづけられ,1745年(延享2)5代頼恭(よりたか)のときに今日の原型ができあがったと考えられる(現在の掬月亭はこのときの修築)。その際,園内名所約60景の中国的名称が定められた。そのころの状況は高松藩侍読の中村文輔撰《栗林荘記》に詳しい。1875年県立公園となり,1911年より13年にかけて北部を大改造し,半洋風の庭園となった。香東(ごうとう)川の伏流水を利用した南湖・北湖を主とする六つの池と,高低さまざまな13の築山を配し,多くの橋と園路をめぐらした回遊式庭園で,その景観は日本三公園(兼六園,岡山後楽園,偕楽園)の上にあると評されている。
執筆者:村岡 正
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