栗林公園(読み)りつりんこうえん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

栗林公園
りつりんこうえん

香川県高松市にある県立公園。面積約 74万 8700m2。市街地の南端紫雲山麓にある。元松平藩主初代頼重の別邸で,5代頼恭のとき,延享2 (1745) 年に完成。 1875年,栗林公園として公開された。6つのと 13の丘を基調に松と泉と石を巧みに配置した回遊式池泉庭園で,江戸城吹上御苑を模したといわれている。半洋式の北庭と純日本式の南庭に2分され,松平氏の茶室掬月 (きくげつ) 亭から見た南湖の眺めが最もすぐれている。園内に栗林動物園,高松市立美術館,讃岐民芸館などがある。

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百科事典マイペディアの解説

栗林公園【りつりんこうえん】

香川県高松市にある公園(特別名勝)。市街地の南端,紫雲山麓にあり,面積0.75km2。もと高松藩主松平氏の別邸で,1875年公開。回遊式庭園で,準洋式の北庭には美術館,民芸館,動物園などがあり,純日本式の南庭は湧泉と松林を巧みに配置。瀬戸内海国立公園の一部。
→関連項目香川[県]高松[市]

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世界大百科事典 第2版の解説

りつりんこうえん【栗林公園】

高松市栗林町にあり,紫雲山を背景として面積75万m2余を占める大庭園。特別名勝に指定され,瀬戸内海国立公園の一部となっている。高松の最初の藩主生駒氏の時代には御林(おはやし)と呼ばれた御用林があり,備荒のためにクリの木が植えられていた。その中の下屋敷栗林荘の前身である。1642年(寛永19)藩主となった松平頼重は栗林荘を改修し,64年(寛文4)ここに隠退した。南湖に臨む大茶屋(掬月(きくげつ)亭)はこのころに営まれ,さらに庭を北へと拡張した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

栗林公園
りつりんこうえん

高松市栗林町にある県立公園。かつては栗林園とよばれた、わが国の代表的回遊式大名庭園。紫雲山(しうんざん)東麓(とうろく)に位置し、西湖、南湖、北湖、涵翠池(かんすいち)、芙蓉池(ふようち)、潺湲池(せんがんち)の六大水局、および飛来峰(ひらいほう)、小普陀(しょうふだ)、飛猿巌(ひえんがん)など十三大山坡(さんぱ)を配置し、園全体に60余景が包含されている。総面積は約75万平方メートルである。
 この地は室町時代のころ、南部の小普陀付近に普陀落寺(ふだらくじ)とその庭園があり、桃山時代には生駒親正(いこまちかまさ)の臣佐藤道益(みちます)の邸となった。生駒氏時代の庭園は現在の南湖全体、とくに飛猿巌付近がもっとも古く、これが当園の基盤になっている。しかし、本格的な大名庭園として整備されるのは江戸初期の1642年(寛永19)、徳川光圀(みつくに)の実兄頼房(よりふさ)の長男松平頼重(よりしげ)が移封されてからである。頼重は73年(延宝1)に隠退するや本園改造に着手した模様で、以後代々改修が続けられ、5代頼恭(よりちか)の1745年(延享2)に本園の古絵図ができているから、全庭の完成はそのころと考えられる。明治維新後、一時私有化されて荒廃したが、1875年(明治8)県有地となり、85年には県立公園として一般公開されるに至った。1953年(昭和28)特別名勝に指定。回遊の風景の変化を楽しむ庭であるが、多数の松林のみごとさは特筆すべきものがあり、石組(いわぐみ)では、南湖の中島の一つ天女島のものと、仙磯とよばれる岩島、掬月亭(きくげつてい)左方の七福神と称される石組などに優れた手法がみられる。[重森完途]

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