皇居北西部の森林を中心とした約25ヘクタールの地区。天皇、皇后両陛下の住まいの御所や、昭和天皇の住まいだった吹上大宮御所がある。江戸時代に庭園として整備されたが、戦後は昭和天皇の意向で武蔵野の自然を残すよう、できるだけ手を掛けずに管理されている。シイやカシなどが生い茂り、自生と植栽された植物が混然となっている。天皇陛下の発案で、国立科学博物館が1996年から5年間、第1次生物調査を実施、動植物約5千種の生息を確認した。2007年から、春と秋に一般向けの自然観察会も開かれている。
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現皇居の内苑。旧江戸城の北西部にあり,名称の由来は同地が池沼に臨み,風が下より吹き上げる地勢によるという。徳川氏の入国前は局沢(つぼねさわ)と称し,16ヵ寺があり庶民の遊山所であったが,江戸城の造営により後苑に当てられたもの。面積は約13万坪あり,初めは尾張以下の御三家,親藩などの邸宅が置かれたが,明暦の大火(明暦3・1657)後は防火の点から空地とし,庭苑として整備された。すなわち,3代家光の花畑御殿の造苑に始まり,5代綱吉,6代家宣のときに大いに拡張整備された。ことに家宣は造園を好み,全国から珍石,銘木を集め,茶亭を造り,池沼をうがち,またこれを統轄する職として吹上花畑奉行を新置した。8代吉宗は華美にわたるものを撤廃して薬園を置くなど実用本位に改め,10代家治,11代家斉のときにも手が加えられた。明治維新後は本城とともに朝廷に収められて皇居の御苑となり,若干修築されて今日に至っている。
執筆者:川田 貞夫
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皇居の南西にある庭園。面積は30~40万平方メートルといわれる。苑内を川が流れ、林が茂り、武蔵野(むさしの)のおもかげを残している。江戸城西の丸の背後にあり、5代将軍綱吉(つなよし)の時代に拡張整備され、6代家宣(いえのぶ)は1710年(宝永7)に吹上奉行(ぶぎょう)を置いて、庭園を管理させた。8代吉宗(よしむね)は薬園などを設け、それまでの遊覧を目的とした庭園を実用的なものに改めた。1869年(明治2)東京遷都で西の丸が皇居とされると、そのまま御苑となり、霜錦(そうきん)亭、寒香(かんこう)亭などのお茶屋がつくられ、明治天皇はよく宴を催した。1961年(昭和36)天皇の私邸である吹上御所が御苑内につくられ、一般人の立入りは禁止されている。
[吉田早苗]
各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...
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