平安宮内裏の殿舎。紫宸殿の西に位置し,南にある安福殿とならんで,東側にある宜陽殿(ぎようでん),春興殿と相対する。9世紀初めの弘仁年間にはその存在が確認できるので,平安宮創建のときから設けられたと推定できる。桁行9間,梁行2間の身舎の四面に廂(ひさし)をつけた南北棟建物で,東を正面とする。身舎は一部を塗籠(ぬりごめ)とし,書籍を中心とする御物を収蔵したので,一名文殿(ふみどの)とも称する。西廂には北に蔵人所(くろうどどころ),南に校書所をおく。蔵人所では収蔵の書籍の校定や漢籍の講書を行うことがあった。東廂には南に右近衛陣があり,そこで911年(延喜11)ころクジャクを飼ったので,孔雀間の称がある。東側の庭を賭射(のりゆみ)の射場に用いたので,東廂の北に天皇が観戦する射場殿(いばどの)を設けた。北廂には下侍をおいた。
執筆者:今泉 隆雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
平安宮内裏(だいり)の殿舎の名。文殿(ふどの)ともいう。清涼殿の南にあり、檜皮葺(ひわだぶ)きで、南北9間、東西2間の母屋(もや)の、四面に廂(ひさし)がある東向きの建物。母屋は納殿(おさめどの)ともいい、歴代の書物などが保管された。810年(弘仁1)、納殿の管理や文書の取扱いにあたる蔵人所(くろうどどころ)が設置され、のちに宮中の事務全体を掌握した。北廂には下侍(しもさぶらい)(蔵人などの控室)があり、西廂の北側には、出納(しゅつのう)(蔵人所で、文書・雑具の出し入れにあたった職)・小舎人(こどねり)(殿上の雑用係)の控室、そして南側に校書殿を管理する校書所(どころ)があった。東廂の南側は右近衛陣座で、紫宸殿(ししんでん)東廊にある左近衛陣座とともに、仗議(じょうぎ)(公卿(くぎょう)が政(まつりごと)を評議する会議)の場であった。
[吉田早苗]
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