周囲を壁で塗り込めた部屋。寝室や納戸に使われた。平安時代の寝殿造では、寝殿や対屋(たいのや)の母屋(もや)の端2間四方をくぎって塗籠とした例がよくみられる。御簾(みす)、障子(現在の襖(ふすま))、屏風(びょうぶ)など、開放的な間仕切りが中心となる寝殿造の中で、壁や妻戸(両開きの板戸)で囲まれた塗籠は、閉鎖的で暗い場所を寝室とする古くからの習慣が残ったものであろう。しかし、平安中期には母屋や庇(ひさし)に帳台(ちょうだい)を置いて寝所とし、塗籠は納戸として使うようになった。『源氏物語』「夕霧」には、特殊な状況として、女性が求婚者を避けるために、塗籠を寝所とする場面が描かれている。ただし、民家では近世に至るまで寝室として用いられた。
[吉田早苗]
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…また,柱に太い溝を彫り,上から厚い板を落とし込み,上部を桁で固める〈落し造り〉の板倉も,関西地方から中部・関東地方の山間部の農家でよく使われていた。
[塗籠]
室町時代の京都では,質屋や金貸しを業務とした土倉(どそう)が数多くあったことが知られている。しかし,室町時代末期の《洛中洛外図屛風》に描かれた京都の町家を見ると,板葺き屋根の粗末な建物ばかりで倉らしい建物はまったく見当たらない。…
…(c)1043年(長久4)から1166年(仁安1)まで藤原氏の邸宅として使われた東三条殿の寝殿は,6間×2間の身舎の四周に庇をまわし,北側にはさらに孫庇が設けられていた。身舎(母屋)(もや)は東端2間を妻戸(扉)で閉じて塗籠(ぬりごめ)とし,北庇と西庇は障子(現在いう襖)や遣戸(やりど)で小部屋に仕切られている。身舎の西4間板張床の広い部屋で,中を屛風や几帳(きちよう)で適当に仕切って日常の生活を行った。…
…平安時代の末期から鎌倉時代になると,寝殿の奥に,床を一段高くし,両脇に幅の狭い袖壁をつけ,帳を垂れ,中に茵や衾を置いた部屋が絵巻物に描かれ,帳台を作り付けにしたものと考えられる。そのほか平安時代には,塗籠(ぬりごめ)が寝場所として使われるという叙述もあり,塗籠が寝室にあてられたという見方もある。しかし,塗籠の具体的な形は不明であり,それが納戸的なものであれば,寝室として使ったのは副次的な用法であったと考えられる。…
…そして日常生活に必要な樋殿(ひどの)(便所)や湯殿(浴室)などの設備もそれぞれ別個に設けられ,食事さえ別々に行われた。寝殿の内部(母屋)には塗籠(ぬりごめ)と呼ばれる寝室のみが部屋として間仕切られていたが,これもしだいに形骸化し,寝殿の中央近くに置かれた帳台が寝所となった。帳台の近くには畳を敷き,上に茵(しとね)を置いて昼の居所とし,その周囲には厨子棚や二階棚を置いて日用品を収納した。…
※「塗籠」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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