桐竹紋十郎(初代)(読み)きりたけ・もんじゅうろう

朝日日本歴史人物事典 「桐竹紋十郎(初代)」の解説

桐竹紋十郎(初代)

没年:明治43.8.15(1910)
生年弘化2?(1845)
明治期を代表する文楽人形女形遣いの名手本名小林福太郎桐竹門十郎の子。3代目吉田辰造に入門して辰三郎と名乗り,13歳で大坂御霊の芝居初舞台を踏んだが,18歳のときに大坂を出て旅回りのあと江戸へ行き薩摩座の3代目西川伊三郎に付いて修業,明治9(1876)年に文楽座に帰り父の名跡の門十郎を継いだ。しかし他からの抗議により紋十郎と改める。最初は立役を遣ったがのちに女形に変わり,派手な芸風で人気を集めた。得意の役は「伽羅先代萩」の政岡,「仮名手本忠臣蔵」の戸無瀬,「艶容女舞衣」(「酒屋」)のお園,「妹背山婦女庭訓」のお三輪など。雑誌『歌舞伎』40号に「重の井子別れ」の型の記録がある。<著作>『桐竹紋十郎手記』(未刊随筆百種12巻)<参考文献>『義太夫年表/明治篇』

(山田庄一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「桐竹紋十郎(初代)」の解説

桐竹紋十郎(初代) きりたけ-もんじゅうろう

1845-1910 明治時代人形浄瑠璃(じょうるり)の人形遣い
弘化(こうか)2年2月生まれ。桐竹門十郎の子。3代吉田辰造に入門。江戸で修業したあと大坂にもどり,桐竹亀松の名で文楽座に出演。明治9年門十郎を襲名し,翌年紋十郎と改名女方遣いの派手な芸風で知られた。明治43年8月15日死去。66歳。本名は小林福太郎。

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