(1)人形浄瑠璃狂言。1772年(安永1)12月大坂豊竹座初演。竹本三郎兵衛,豊竹応律,八民(やたみ)平七の合作。上中下3巻の世話物。通称《酒屋》。1695年(元禄8)12月7日大坂千日の墓所の南側,俗称さいたら畑で,大和国五条新町赤根屋半七と島の内の垢摺女(下級娼婦)美濃屋三勝が心中。この事件にもとづいて,音曲,歌舞伎に三勝半七物の作品群があらわれた。本作品は,その一つ。大坂上塩町の酒屋茜屋半兵衛の息子半七は,女舞の芸人美濃屋三勝との間にできた娘を捨てて心中。残された半七の女房お園の〈今ごろは半七つぁん……〉のクドキで有名。初演後中絶していたのを,1830年(天保1),世話物の名人といわれた初世豊竹靱太夫が発掘。クドキが大坂の街中に大流行したという。本来の《酒屋》は,後半の半七の書置を家族が読むところが正念場で,寂しく,しっとりした人情噺風の語り物。
(2)歌舞伎狂言。世話物。酒屋の段が原本に忠実に歌舞伎化されたのは明治になってからという。大阪で嵐巌笑,東京で6世市川門之助(女寅)が演じた。やはりお園のクドキが中心で,クドキの間に丸行灯を使う演出は巌笑が工夫し,それが文楽の人形へ逆移入されたという。空閨をかこつお園の哀しみ,貞女ぶりが見ものであると同時に,お園の父宗岸,半七の父半兵衛の2人の老人も難役で,いわば大坂町人の人情家庭劇である。
執筆者:渡辺 保
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浄瑠璃義太夫節(じょうるりぎだゆうぶし)。世話物。三段。竹本三郎兵衛(さぶろべえ)・豊竹応律(とよたけおうりつ)・八民(やたみ)平七合作。1772年(安永1)12月大坂・豊竹座初演。1695年(元禄8)の千日墓地における女舞(おんなまい)の芸人美濃屋三勝(みのやさんかつ)と大和(やまと)五条新町(奈良県)の赤根屋(あかねや)半七の心中事件を脚色した「三勝半七物」のなかでもっとも有名な作品。大坂上塩(うえしお)町の酒屋茜(あかね)屋の息子半七は、女房お園がありながら女舞の三勝となじみ、お通という子までもうけたうえ、三勝に横恋慕する今市屋善右衛門(ぜんえもん)を殺して御尋ね者になるが、三勝と心中寸前に善右衛門の悪事が判明し、半七の罪が許されて救われる。このうち下の巻「酒屋」だけが今日に残り、人形浄瑠璃でも歌舞伎(かぶき)でもしばしば上演される。半七、三勝がお通に書置きを持たせて茜屋の門口に預け死出の旅に向かう場面だが、半七を思うお園の貞節を中心に、半兵衛夫婦やお園の父宗岸(そうがん)らの情愛が細やかに描かれ、ことにお園が不在の夫をしのんで物思いにふける「今ごろは半七さん……」のクドキは有名で、義太夫中での人気作になっている。
[松井俊諭]
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