日本大百科全書(ニッポニカ) 「桑原史成」の意味・わかりやすい解説
桑原史成
くわばらしせい
(1936― )
写真家。島根県木部(きべ)村(現津和野町)生まれ。1960年代初頭から一貫してフリーランスの立場で、水俣(みなまた)病、韓国の社会状況、ベトナム戦争などの記録報道に取り組んできた。1960年(昭和35)に東京農業大学、および東京フォト・スクール(現東京綜合写真専門学校)夜間部を卒業。同年熊本県水俣市を中心に不知火(しらぬい)海沿岸の漁村地域で発生していた、工場廃液による海水汚染に起因する公害病「水俣病」の現地取材を始める。患者たちや仕事を奪われた漁民たちの生活に密着して記録撮影を重ね、1962年初個展「水俣病」(富士フォトサロン、東京)を開催、多大な反響を呼ぶ。同展で日本写真批評家協会新人賞受賞。以後も20年間にわたり水俣での取材を続ける。
1964~1965年日本との国交が回復する直前の韓国を取材。日本による植民地支配や朝鮮戦争の爪跡、村落の暮らし、日韓条約締結(1965)に反対する学生デモ、在韓アメリカ軍、ベトナムへ派兵される韓国軍、等々を撮影する。1965年雑誌『太陽』『週刊朝日』に発表した韓国取材のルポルタージュが評価され、講談社写真賞を受賞。以来、韓国をテーマとする撮影にも20年以上にわたり持続的に取り組む。また1967~1968年、ベトナム戦争を現地取材し、1968年1月に起きた解放戦線側による全土一斉蜂起「テト攻勢」をサイゴン(現ホー・チ・ミン市)で撮影。その後も1972年、1973年、1978年とベトナム取材を続けた。
1978年から、首都圏消費者と国内各地の農業生産者を結ぶ自主的な流通管理組織「生活クラブ生活協同組合」の活動を記録撮影し、写真集『生活者群像』(1980)をまとめる。1982年英(はなぶさ)伸三との「ドキュメント二人展」(ニコンサロン、東京)を開催し、同展で伊奈信男賞受賞。1991年(平成3)ソ連崩壊直前のロシアを取材中、ソビエト政府中枢でのクーデター事件に遭遇し、緊迫した状況下の市民たちの姿を撮影。さらに3年間にわたりバルト3国、カフカス、中央アジアまでを取材撮影し、その成果から写真集『病める大国 ロシア』(1995)をまとめた。
[大日方欣一]
『『水俣病』(1965・三一書房)』▽『『水俣病――写真記録1960―1970』(1970・朝日新聞社)』▽『『生活者群像――浪費社会との訣別』(1980・三一書房)』▽『『水俣・韓国・ベトナム』(1982・晩聲社)』▽『『高麗・李朝現代陶磁撰』(1985・毎日新聞社)』▽『『水俣――終りなき30年 原点から転生へ』(1986・径書房)』▽『『韓国原影』(1986・三一書房)』▽『『陶磁の里――高麗・李朝』(1986・岩波書店)』▽『『病める大国 ロシア』(1995・平凡社)』▽『『水俣の人びと』『桑原史成写真全集 第2巻・韓国』(以上1998・草の根出版会)』▽『『桑原史成全集 第3巻・ベトナム』(1999・草の根出版会)』▽『『報道写真家』(岩波新書)』▽『英伸三・桑原史成・中村梧郎著『写真で何ができるか』(1986・大月書店)』