1965年6月22日に日本と大韓民国の政府間で調印された日韓基本条約と,それに付随する一連の協定・外交公文の総称。これにより両国は国交を開くが,その後現出したいわゆる〈日韓癒着〉体制の基点をなしている。
1910年の日韓併合により日朝両国家間の関係はいったん消滅してしまったが,第2次大戦後独立した朝鮮とサンフランシスコ講和条約(1951年9月調印)をへて独立を回復した日本とが,いかなる新たな国家関係を結ぶのかがそもそもの問題であった。しかし,朝鮮の南北の分断状況にも規定され,またアメリカ,日本,韓国の政府の意図を反映して,朝鮮民主主義人民共和国を無視し韓国とのみ交渉が進められた。1951年11月に日韓予備会談が開始されて以降,53年10月に,〈日本の朝鮮統治は恩恵を与えた〉とする日本側の久保田貫一郎主席代表の発言により第3次会談が中断状態となるまでは,朝鮮戦争(1950-53)に日本を直接荷担させようとするアメリカの圧力が前面に出ていたが,李承晩政権の反日姿勢は固く,日韓両国の主張にはまだ大きな隔りがあった。しかし,長い中断期間をへて58年4月第4次会談が再開されて以降は,復活した日本の独占資本が対韓再進出衝動を強めており,また61年5月に成立した朴正煕政権は日本の資本をひきいれての〈近代化〉路線による権力基盤の補強を志向し,さらにベトナム戦争に深入りするアメリカの,韓国についての対日〈肩替り〉要求とも合致して,会談は急速に進行するようになった。
だが,〈日帝の再来〉と〈第二の李完用たることも辞せず〉とする朴政権の姿勢への韓国民衆の批判は鋭く,日本でも革新勢力による日韓会談反対運動が一定の展開を示した。日本での運動の論理は,アメリカ,日本,韓国の軍事体制批判や独占資本の進出にともなう低賃金構造固定化論等が前面に出て,植民地支配の責任追及に基づく再侵略批判論は比較的少なかった。これに対し,韓国の民衆運動は,日韓会談の推進が自主的平和的統一に対する阻害要因となるばかりでなく,再び政治的,経済的に日本への従属の道を開くことを正面から批判し,具体的には漁業問題,対日請求権問題における〈屈辱的譲歩反対〉に的をしぼって盛り上がった。特に会談妥結寸前の64年3月から6月にかけて学生を主力とするデモが高揚し,朴政権は非常戒厳令によってこれを抑圧し,1年後にようやく調印にこぎつけたのであった。こうした経過を反映して調印された日韓条約の批准過程は,両国ともきわめて変則的なものとなった。韓国国会では65年8月14日野党議員総辞職という状況の中で与党のみの単独承認が強行され,日本の国会でも同年11月6日衆議院日韓特別委,11月12日同本会議,12月11日参議院本会議と連続的に強行採決が行われた後,12月18日批准書が交換され,条約が発効した。
条約の主内容にふれれば,まず〈日韓基本条約〉(前文と全7条から成る)では,韓国政府が,〈(1948年12月12日付の)国連総会決議195号が明示するとおりの朝鮮にある唯一の合法的な政府である〉(3条)とされている。韓国側がこれを全朝鮮における唯一の合法政権であることを確認したものと説明したのに対し,日本側は休戦ライン以南を現に管轄している事実を確認したものにすぎないと説明したが,その後の運用実態(朝鮮民主主義人民共和国との国交未回復等)からすれば,前者の解釈のニュアンスが投影していることは否定しがたい。〈日韓漁業協定〉では,〈李承晩ライン〉を撤廃して韓国側の漁業専管水域(直線基線から12カイリ)と共同規制水域を限定するかわり,日本側が漁業協力資金を供与することが取り決められた。〈在日韓国人の法的地位および待遇に関する協定〉では,協定にともなう日本側の特別法により66年1月から5年の間の本人申請にもとづき,いわゆる〈協定永住権〉が付与されることとされたが,在日朝鮮人のすべてが韓国を支持しているわけではなく,〈分断と同化〉の在日朝鮮人政策を現出させることになった。〈文化財および文化協力に関する協定〉では,若干の国有文化財が韓国政府に返還されることとなった。竹島(朝鮮では独島という)の帰属をめぐる問題は基本的に棚上げにされた。そして請求権問題では,総額8億ドル以上の〈請求権資金〉(政府無償贈与3億ドル,海外経済協力基金による政府借款2億ドル,民間借款3億ドル以上)を日本側が供与することとひきかえに,韓国側が個人の未払賃金等もふくむいっさいの対日請求権を放棄することを取り決めた。これは韓国民衆からみれば,わずかな金で巨大な植民地支配下の痛苦に対する賠償要求を放棄するばかりでなくかえって借金を負わされ,しかもその〈ひもつき資金〉が日本資本の再侵入の呼び水になるという不条理なことであった。実際こうして政府資金が主に社会資本部門に投ぜられたあと,70年代には日本企業の直接投資が大量化していったのである(〈大韓民国〉の項を参照)。それは,特に政府資金の周辺に〈日韓癒着〉と呼ばれる腐敗や利権の〈黒い霧〉を多く発生させたばかりでなく,構造的に,韓国を低賃金労働集約産業に特化した地域として日本独占資本の再生産構造の一環に編入する結果をもたらしている。
執筆者:梶村 秀樹
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…その間72年7月4日の自主的・平和的統一をうたった南北共同声明は,米中接近など多分に国際的条件に規定された一場のできごととみなされざるをえないが,そこで〈思想と理念,制度の差異を超越しての大団結〉が両政府間で確認されたことは,今後に生かしうる貴重な遺産として残っている。 しかし,この間1965年に民衆の反対をおしきって結ばれた日韓条約に基づく日韓支配層間の政治・経済的関係の深化が,統一問題にも大きく影を落としていることを重視しなければならない。それは,韓国経済の従属高度成長と産業社会化,そして不可避的に階級矛盾の深化を生み出しつつ,アメリカの軍事力と補いあいながら,軍事的〈開発独裁〉政権と財閥の支配を補強することによって,統一問題への接近に重圧を課していることを見落としてはならない。…
※「日韓条約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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