日本歴史地名大系 「桜馬場跡」の解説 桜馬場跡さくらばばあと 岩手県:盛岡市盛岡城下馬場小路桜馬場跡[現在地名]盛岡市馬場町下(しも)の橋の南西から中津(なかつ)川と北上川の合流点にかけて設けられた藩営馬場。現在の下橋中学校付近に比定される。内史略本「盛岡砂子」に「此所の桜色香殊にめて度、弥生の頃は貴賤群集す」とあり、名称は城下士民の観桜の場であったことに由来するのであろう。寛永城下図では馬場町の北西に桜と松らしきものが描かれ、馬場と記される。また中津川の南岸と北岸に馬屋がある。元文城下図では馬場町に接して整備された馬場が描かれ、北西に馬屋が多数立並び、その外側の川岸に沿って柵がめぐらされている。 桜馬場跡さくらのばばあと 東京都:文京区旧本郷区地区湯島三丁目桜馬場跡湯島聖堂の西に位置する幕府の馬場。湯島馬場ともいう。「御府内備考」によれば、貞享(一六八四―八八)頃に創設されたという。しかし明証する史料はなく、幾つかの伝承もある。「改撰江戸志」は、当地は慶安年間(一六四八―五二)に由井正雪に謀反の計画があることを訴え出た四名に与えられ、いったん町屋になった後、馬場になったという記事を載せ、かつて左右に楓桜の木があったことが馬場名の由来とする。また「遊歴雑記」によれば、慶長年間(一五九六―一六一五)に二代将軍徳川秀忠が桜の御所から拝領した馬を、当馬場で初めて乗ったことがその名の由来という。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報