梶原性全(読み)かじわらしょうぜん

精選版 日本国語大辞典 「梶原性全」の意味・読み・例文・類語

かじわら‐しょうぜん【梶原性全】

  1. 鎌倉後期の医者和気氏一族。号、浄観。隋の巣方元の「病源候論」を参照し、唐宋の医術を取り入れて「頓医抄」「万安方」を著わす。文永三~建武四=延元二年(一二六六‐一三三七

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改訂新版 世界大百科事典 「梶原性全」の意味・わかりやすい解説

梶原性全 (かじわらしょうぜん)
生没年:1266-1337(文永3-延元2・建武4)

鎌倉後期の僧医。師承・経歴は明らかでない。浄観と号した。鎌倉で著述した《頓医抄》《万安方》の2書が知られる。実地医療にたずさわったが,叡尊や忍性らのように社会事業や救療活動に直接関与したか否かは不明。当時,多くの医師暴利をむさぼり慈悲の心に欠けていたのを憂え,自ら学んだ知識や秘伝・口伝と称する医術を集めて公表し,世の人を救うために,わかりやすいかな書きで編纂(へんさん)したのが《頓医抄》(1302-04ころ成稿)で,癩病を独立した一部門として扱っているのが注目される。これは中国書(風病の一つに数える)にもみられないことで,救癩活動を行った忍性らの救療精神を反映しているものとみられる。《万安方》(1315-27ころ成稿)は子孫のために書かれた漢文の家蔵本で,最も新しい宋代の医学叢書《聖済総録》を基幹として編纂されている。ともに鎌倉期の代表的医書である。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「梶原性全」の意味・わかりやすい解説

梶原性全
かじわらしょうぜん

生没年不詳。鎌倉後期の医家。仏門に入り、浄観と号した。中国の隋(ずい)・唐・宋(そう)の医書2000余巻を通読し、これに自らの経験を加えて、仮名書きの『頓医抄(とんいしょう)』50巻(1303年ころ)を著し、1315年(正和4)には漢文で『万安方(まんあんほう)』62巻を著した。内容は両者ともほぼ同じで、ともに鎌倉時代の代表的医書と称されている。多く中国の諸医説に拠(よ)りながらも自説を加えることを忘れず、よく時代精神を具現している。『頓医抄』中の「五臓六腑(ごぞうろっぷ)図」は、古来の中国の解剖学に関する知識を日本へ初めて伝えたものとして意義が大きい。

[大鳥蘭三郎]

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朝日日本歴史人物事典 「梶原性全」の解説

梶原性全

没年:建武4/延元2.1.22(1337.2.23)
生年:文永3(1266)
鎌倉後期の僧医。号は浄観。相模国(神奈川県)の人で鎌倉武家の梶原氏もしくは和気氏の一族ともいわれる。鎌倉に住み,長井宗秀や金沢貞顕らの知遇を得たらしい。平安時代の医学(隋唐医学)に加えて新渡来の宋医学文献を渉猟。乾元1(1302)年ないしは嘉元2(1304)年に完成した『頓医抄』全50巻は仮名交じりで平易に書かれた医学全書で,内臓図も載せている。北宋の『太平聖恵方』(992)の影響下にあるが,自説も記し,自家経験と実用を重視している。正和4(1315)年~嘉暦2(1327)年ごろにかけて著述した『万安方』全50巻(のち62巻)は新渡来の『聖済総録』など多数の医学文献を漢文のまま引用しており,文献学的価値が高い。いずれも金沢文庫を背景とする広範な文献資料の活用が認められ,鎌倉期の医学知識の最高水準を知ることができる。

(小曾戸洋)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「梶原性全」の解説

梶原性全 かじわら-しょうぜん

1266-1337 鎌倉時代の医師。
文永3年生まれ。乾元(けんげん)元年または嘉元2年のころに仮名まじり文で「頓医抄(とんいしょう)」50巻を,さらに漢文で「万安方(まんあんぽう)」62巻をあらわす。いずれも中国医書によりながら自説をくわえたもので鎌倉時代の代表的医書とされている。建武(けんむ)4=延元2年1月22日死去。72歳。相模(さがみ)(神奈川県)出身。号は浄観。
【格言など】慈心の心を以て行わば縦(たと)いその業拙くとも皆効あるべし(「頓医抄」)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「梶原性全」の意味・わかりやすい解説

梶原性全
かじわらしょうぜん

[生]文永3(1266)
[没]建武4(1337)
鎌倉時代の医師。号は浄観。丹波氏に医学を学び,『頓医抄』 (50巻,1302~04) ,『万安方』 62巻 (別本の 12巻,13,原形の 50巻,15~27) を著わした。前者は衆人のために平易に書いた医学書であるが,後者は秘伝として子孫に残したもので,『聖済総録』など 99種の中国医書を引用している。

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世界大百科事典(旧版)内の梶原性全の言及

【医学】より

…8世紀以前のそれは公卿風であったが,以後僧服僧体のものが多くなる。鎌倉時代に有名であった栄西,梶原性全(かじわらしようぜん)はいずれも僧医である。栄西は中国から禅宗をもたらしたが,同時に健康保命のために茶の飲用をすすめたことでも有名である。…

【医者】より

…この傾向は武家が政権をとった鎌倉期以降,一段と顕著になった。良観房忍性が救癩活動を行い,《喫茶養生記》を著して飲茶の効用を説いた栄西は,当代の養生観を一変させ,武家出身の僧医梶原性全(浄観房)にいたっては,仏教的医療精神をもととしながらも,既成の隋・唐医学に宋医方を加え,実際的な独自の経験医方を確立した。(2)実証医学の展開期 南北朝期以降になると,争乱を反映して,僧医や武士たちが実用本位の医療を行うようになった。…

※「梶原性全」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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