鎌倉後期の僧医。師承・経歴は明らかでない。浄観と号した。鎌倉で著述した《頓医抄》《万安方》の2書が知られる。実地医療にたずさわったが,叡尊や忍性らのように社会事業や救療活動に直接関与したか否かは不明。当時,多くの医師が暴利をむさぼり慈悲の心に欠けていたのを憂え,自ら学んだ知識や秘伝・口伝と称する医術を集めて公表し,世の人を救うために,わかりやすいかな書きで編纂(へんさん)したのが《頓医抄》(1302-04ころ成稿)で,癩病を独立した一部門として扱っているのが注目される。これは中国書(風病の一つに数える)にもみられないことで,救癩活動を行った忍性らの救療精神を反映しているものとみられる。《万安方》(1315-27ころ成稿)は子孫のために書かれた漢文の家蔵本で,最も新しい宋代の医学叢書《聖済総録》を基幹として編纂されている。ともに鎌倉期の代表的医書である。
執筆者:宗田 一
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生没年不詳。鎌倉後期の医家。仏門に入り、浄観と号した。中国の隋(ずい)・唐・宋(そう)の医書2000余巻を通読し、これに自らの経験を加えて、仮名書きの『頓医抄(とんいしょう)』50巻(1303年ころ)を著し、1315年(正和4)には漢文で『万安方(まんあんほう)』62巻を著した。内容は両者ともほぼ同じで、ともに鎌倉時代の代表的医書と称されている。多く中国の諸医説に拠(よ)りながらも自説を加えることを忘れず、よく時代精神を具現している。『頓医抄』中の「五臓六腑(ごぞうろっぷ)図」は、古来の中国の解剖学に関する知識を日本へ初めて伝えたものとして意義が大きい。
[大鳥蘭三郎]
(小曾戸洋)
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…8世紀以前のそれは公卿風であったが,以後僧服僧体のものが多くなる。鎌倉時代に有名であった栄西,梶原性全(かじわらしようぜん)はいずれも僧医である。栄西は中国から禅宗をもたらしたが,同時に健康保命のために茶の飲用をすすめたことでも有名である。…
…この傾向は武家が政権をとった鎌倉期以降,一段と顕著になった。良観房忍性が救癩活動を行い,《喫茶養生記》を著して飲茶の効用を説いた栄西は,当代の養生観を一変させ,武家出身の僧医梶原性全(浄観房)にいたっては,仏教的医療精神をもととしながらも,既成の隋・唐医学に宋医方を加え,実際的な独自の経験医方を確立した。(2)実証医学の展開期 南北朝期以降になると,争乱を反映して,僧医や武士たちが実用本位の医療を行うようになった。…
※「梶原性全」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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