森下村(読み)もりしたむら

日本歴史地名大系 「森下村」の解説

森下村
もりしたむら

[現在地名]昭和村森下

川額かわはけ村の北、利根川左岸に位置し、沼田街道が通る。中世には利根庄に含まれ、「建内記」嘉吉三年(一四四三)六月一七日条に地名がみえる(→利根庄。戦国期には沼田に近いこともあって軍事上の要衝となり、城も築かれた。永禄一一年(一五六八)正月八日の上杉輝虎書状(双玄寺旧蔵文書)に「其地(沼田城)之事者不及申、猿京・小河・森下之用心、不可有油断候」とある。そのほか天正期(一五七三―九二)の上杉氏・北条氏の書状・朱印状・感状に散見、天正一三年九月八日の北条氏直書状(東京国立博物館所蔵文書)には、北条勢が真田昌幸勢の立籠る森下城を攻め落したとある。森下の城は鎌田かまた城ともよばれた。寛文郷帳によると田方一三七石余・畑方六三八石余、前橋藩領。元禄七年(一六九四)二月、村では前橋藩に市場取立願(真下文書)を出したが、それには「市場願之儀先年七十年以前ニ馬市立申候へとも、外之売買不仕候故歟、勝手ニ被罷成故指置申候、今度ハ諸商内共ニ御免被下置候ハヽ、市立可申と存候」とあり、市立て希望の理由を近在の村々が交通の便のよい当地に市が立つことを願っているためとしている。


森下村
もりしたむら

[現在地名]豊田町森下

西境は西之島にしのしま村、前野まえの用水・森岡もりおか川が南流し、池田いけだ川が南西端を東流する。東海道が東西に通る。正保郷帳に村名がみえ、幕府領、田方一五〇石余・畑方三三石余、光得こうとく(現興徳寺)領一石・神明領一石五斗。国立史料館本元禄郷帳では旗本花房領で、幕末まで変わらず(旧高旧領取調帳など)。「遠淡海地志」によると家数二一。東海道見付みつけ宿(現磐田市)の助郷役は中野戸なかのと村に同じ。宝暦七年(一七五七)・寛政一〇年(一七九八)には天竜川の洪水で往還が堀になった(東海道宿村大概帳)。曹洞宗興徳こうとく寺は建久年間(一一九〇―九九)の創建と伝える。


森下村
もりしたむら

[現在地名]富士市森下

宮下みやした村の東、富士川河口付近左岸の低地に立地する。加島かじま森下・森下加島新田ともいう。加島新田開発によってできた新田村。延宝七年(一六七九)の加島領郷帳(須津文書)によれば、森下村加島新田高四四石余、反別は中田二町二反余・下田二町四反余、下畑三反余、屋敷二反余。元禄郷帳では加島森下村とみえ高四四石余。


森下村
もりしたむら

[現在地名]海津町森下

石亀いしがめ村の南東、長良川右岸に立地する。慶長郷帳に村名がみえ、高四六石余。元和二年(一六一六)の村高領知改帳では徳永昌重(高須藩)領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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