改訂新版 世界大百科事典 「森永ヒ素ミルク中毒事件」の意味・わかりやすい解説
森永ヒ(砒)素ミルク中毒事件 (もりながひそミルクちゅうどくじけん)
1955年,西日本一帯で,森永乳業徳島工場製造の粉ミルクを飲用した人工栄養児の間で発生したヒ素中毒事件。厚生省の調べ(1956)だけでも被害者約1万2000人(うち131人死亡)に及び,実情はその数倍ともいわれている。原因は当時ミルクの安定剤として使用されていた第二リン酸ソーダ(リン酸水素二ナトリウム)がヒ素を大量に含んだ偽物であったことによる。刑事裁判は,63年の一審(徳島地裁)判決では,起訴された当時の製造課長,工場長とも無罪とされたが,控訴審における差戻し判決,最高裁による控訴審判決の支持を経て70年から徳島地裁でやり直し裁判が行われ,73年11月28日,同地裁は森永側の刑事責任を認め,元製造課長に禁錮3年の実刑判決(元工場長は無罪)を下し,確定した。
一方,事件発生後の被害者たちの運動は1963年の一審無罪判決によって打撃を受け,64年には提訴されていた民事訴訟もすべて取り下げられてしまった。しかし69年日本公衆衛生学会で後遺症の実態が明らかにされたのを契機に,〈森永ヒ素ミルク中毒の子供を守る会〉の自主的な運動が活発化し,恒久的救済対策を求めての森永との交渉も始まった。73年10月,守る会,森永,厚生省の3者会談で,3者がそれぞれの立場で守る会の掲げてきた救済対策を早急に行うことが確認され,さらに12月森永が救済資金として30億円を出すことなどで合意が成立,翌年4月恒久救済機関として財団法人〈ひかり協会〉が設立された。
執筆者:黒田 満
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報