デジタル大辞泉 「楚囚」の意味・読み・例文・類語 そ‐しゅう〔‐シウ〕【×楚囚】 《楚の鍾儀は晋に捕らわれた後も、自国の冠をつけていたという「春秋左伝」成公9年の故事から》他国に捕らわれた楚の国の人。転じて、他国に捕らえられ望郷の思いをいだく人。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
精選版 日本国語大辞典 「楚囚」の意味・読み・例文・類語 そ‐しゅう‥シウ【楚囚】 〘 名詞 〙 ( 「春秋左伝‐成公九年」の「文子曰、楚囚君子也、言称二先職一、不レ背レ本也」から ) とらわれた楚の人。転じて、敵国にとらわれの身となって、望郷の思いの切なる人。囚人。とりこ。[初出の実例]「畢竟常桓為二楚囚之躰一云々」(出典:実隆公記‐享祿四年(1531)六月七日)[その他の文献]〔晉書‐王導伝〕 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
故事成語を知る辞典 「楚囚」の解説 楚囚 異郷でとらわれの身となりながらも、故郷のことを忘れないでいる人のこと。 [使用例] 微かに見開いた睫まつ毛げの間に、〈略〉彼の楚囚の王国を、今そこに漸ようやく明瞭する旧知の檻おりを、彼は見たのである[三好達治*測量船|1930] [由来] 「春秋左氏伝―成公九年」に出て来るエピソードから。紀元前六世紀の初め、春秋時代の中国で、晋しんと楚そという二つの大国が対立していたときのこと。鄭ていという国が、楚の鍾しょう儀ぎという音楽家をつかまえて、捕虜として晋へと送ってきました。鍾儀は、捕虜となっても、楚の国の人がかぶる冠を外そうとはせず、楽器を与えると楚の国の曲を奏でます。さらには、取り調べに対しても、堂々とした受け答えを崩しません。その態度に感じ入った晋の君主は、彼を仲立ちとして楚と和平を結んだ、ということです。 出典 故事成語を知る辞典故事成語を知る辞典について 情報 Sponserd by