詩人。大阪市生れ。はじめ軍人を志し陸軍士官学校に進むが中退,三高を経て東大仏文科卒。中学時代《ホトトギス》を購読,句作にふけったというが,三高で同級丸山薫の刺激により詩作を始める。桑原武夫,梶井基次郎,河盛好蔵,吉川幸次郎らを三高時代に知り,東大では小林秀雄,中島健蔵,今日出海(ひでみ),淀野隆三,堀辰雄らと交友。梶井らの《青空》,安西冬衛,北川冬彦らの《亜》,百田宗治の《椎の木》などに参加した後,1928年には《詩と詩論》創刊同人となったがやがて離脱,北川らの《詩・現実》に参加した。33年堀辰雄,丸山薫と共同編集で《四季》を創刊,同誌が昭和10年代抒情詩の主流をなす上で中心的な存在となる。詩人として出発した当時,室生犀星,萩原朔太郎の強い影響を受け,また堀口大学の訳詩集《月下の一群》から多くの方法的示唆を受けた。特に萩原からは深い影響を受け,生涯師として尊敬し,すぐれた萩原論をも書いた。第一詩集《測量船》(1930)で確固たる地位を築き,続く《南窗(なんそう)集》(1932),《間花集》(1934),《山果集》(1935)ではフランシス・ジャムにならった四行詩を俳句的手法を加味して作る。《艸(くさ)千里》(1939),《一点鐘》(1941)などで詠嘆的文語調が強まる。第2次大戦中《捷報(しようほう)いたる》(1942),《寒柝(かんたく)》(1943)などの激越悲愴な戦争詩を書く一方,哀切な恋愛を背景にした《花筐(はながたみ)》(1944)をも書いた。戦後《駱駝の瘤にまたがって》(1952)を経て《百たびののち》(1962)など晩年の古典的風格と完成度を示す詩境に達した。
日本の詩的伝統と現代詩の統合という課題を,伝統の重みに堪えつつ意欲的に背負って歩んだ昭和期の代表的詩人である。
執筆者:大岡 信
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昭和期の詩人、翻訳家。大阪生まれ。陸軍士官学校放校後、旧制第三高等学校に入学。梶井基次郎(かじいもとじろう)、丸山薫(まるやまかおる)らと交友した。東京帝国大学仏文科に入学後、同人誌「亜」、「青空」、また1928年(昭和3)創刊の「詩と詩論」などに短詩や散文詩を発表。ヨーロッパから入ってきたモダニズムの表現方法を用いて、日本の伝統詩歌や漢詩が表現した抒情(じょじょう)世界を知的につくりかえることで、物真似(ものまね)ではない真の前衛詩の書き手であろうとした。1930年に第一詩集『測量船』を刊行。1932年の喀血(かっけつ)入院を契機に、フランシス・ジャムや漢詩の詩法を導入し、美しい死的幻想世界から生命感あふれる田園世界と転じた四行詩集『南窗集(なんそうしゅう)』を刊行。1934年、堀辰雄(ほりたつお)らと、主知的抒情詩の拠点となった第二次『四季』を創刊し、戦前の詩壇を牽引(けんいん)した。第二次世界大戦後、沈潜するニヒリズムを諧謔(かいぎゃく)と風刺で表現した詩集『駱駝(らくだ)の瘤(こぶ)にまたがつて』や評論集『萩原朔太郎』などを刊行。また、ボードレール、ファーブルの翻訳でも知られている。
[藤本寿彦]
『藤本寿彦著『周縁としてのモダニズム 日本現代詩の底流』(2009・双文社出版)』
昭和期の詩人,翻訳家
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…第1次は堀辰雄編集,四季社刊,1933年5~7月,全2冊の季刊誌。第2次は堀辰雄,三好達治,丸山薫の共同編集で出発,四季社刊,34年10月~44年6月,全81冊の月刊誌。とくに注目されるのは第2次《四季》で,共同編集者のほか,津村信夫と立原道造が参加して昭和10年代抒情詩の一方向を定めた。…
…三好達治の第1詩集。1930年刊。…
※「三好達治」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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