各地の姨捨(うばすて)伝説に取材して,老人は70歳になると捨てられるという習慣のある信州の村の物語として書かれた深沢七郎(1914-87)の小説(1956)。中央公論新人賞当選作のこの小説で深沢は文壇に登場,土俗の闇にひそむ人間感情をえぐりだす特異な作風で注目された。同作品の映画化は1958年製作。木下恵介監督作品。歌舞伎ふうの定式幕に〈トザイ,トーザイ,これよりご覧にいれまするは本朝姨捨の伝説より,楢山節考,楢山節考……〉という口上が聞こえてきて幕が引かれ,ラストの現代の風景を除く全編が舞台を思わせるセットのなかで展開,そして場面転換にも〈振落し(書割の布をパラリと落としたとたんに背後の次の場面が見える)〉や〈引道具(前面の道具を脇へ引くにしたがって新しい情景に変わっていく)〉といった歌舞伎の舞台の早替りの手法が使われ,音楽にも歌舞伎ふうに義太夫や長唄や浄瑠璃が使われるといったように,徹底的に〈様式化された〉画面構成による作劇法(シネマトゥルギー)の成功で木下恵介の代表作の一本となっている。
83年には今村昌平監督により再映画化され,こちらは例えばおりん婆さんが自分から石で前歯を欠くところは主演女優の坂本スミ子に実際に抜歯させるなど,徹底的なリアリズムに貫かれた作品である。いずれの作品も海外で高く評価され,今村作品は84年カンヌ映画祭グラン・プリを受賞した。木下作品のほうは1974年にハンガリーでフェレンツ・コーシャ監督により《雪が降る》の題でリメークされている。
執筆者:広岡 勉
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
深沢七郎の短編小説。1956年(昭和31)11月『中央公論』に発表。第1回中央公論新人賞受賞作。57年中央公論社刊。主人公はおりんという老婆で、彼女の住む部落では、口減らしのため老人を楢山に捨てる風習があった。おりんは捨てられる日を早めるために、自らじょうぶな前歯を石臼(いしうす)に打ち据えて折ってしまう。息子辰平(たつへい)はいやいやながらおりんを背負って楢山へ向かう。姥捨(うばすて)山伝説をもとにした特異な作品であり、日本人の心の底に沈んでいる無意識の層、民俗の闇(やみ)に深くメスを突き立てたものとして、その後の反近代的志向の呼び水ともなった。今日の物質文明の基底に潜む、人間感情の原質をとらえて、強い印象を呼び起こす。58年、木下恵介監督により、83年には今村昌平監督により映画化され、それぞれ話題となった。
[笠原伸夫]
『『楢山節考』(新潮文庫)』
…戦争の悲劇や反戦の思想を描いたヒューマニズム映画(《陸軍》1944,《日本の悲劇》1953,《二十四の瞳》1954)からロマンティック・コメディ(《お嬢さん乾杯》1949,《カルメン故郷に帰る》1951,《今年の恋》1962)に至るまで,多種多様の主題と傾向の映画をこなすが,その底に共通する二つの大きな特質は〈抒情〉と〈モダニズム〉ということばでしばしば呼ばれるものである。戦後最大の〈催涙映画〉といわれた《二十四の瞳》から《喜びも悲しみも幾歳月》(1957)に至る抒情と感傷,そして,日本最初の国産カラー(フジカラー)による長編劇映画の実験(《カルメン故郷に帰る》),〈純情す〉という新しいことばの使い方にこめられたモダンな感覚(《カルメン純情す》1952),回想シーンをすべて白くぼかした楕円形で囲む試み(《野菊の如き君なりき》1955),歌舞伎の舞台の転換や義太夫,長唄を使った話法(《楢山節考》1958),モノクロを基調にした画面に効果的にほんの一部分だけ着色したパート・カラー方式(《笛吹川》1960)等々のさまざまな新趣向のテクニックを駆使した。島崎藤村原作《破戒》(1948),女子学院の教育を告発した《女の園》(1954)といった社会的なテーマを強く打ち出したドラマもあり,つねに時代の動きに敏感に反応した映画作家であった。…
※「楢山節考」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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