楽音寺村
がくおんじむら
[現在地名]山東町楽音寺
大月村の北西、与布土川対岸に位置する。往昔朝来郡の中心と目された朝来の里で、大同年中(八〇六―八一〇)明賢により七堂伽藍を備えた楽音寺(現高野山真言宗)が開創され、その寺領一〇〇石余の地を村人が耕したと伝える(朝来志)。安置する薬師仏は、開山の明賢が紀州より請来した秘仏とされる。寺内から出土した経瓦、所蔵の鎌倉期とされる絹本著色涅槃図・絹本著色両界曼荼羅図(双幅)は県指定文化財。寺庭はウツギノヒメハナバチ群生地として県指定天然記念物。「応仁記」によれば、応仁二年(一四六八)三月二〇日、細川方の長九郎左衛門尉政連・丹波内藤孫四郎や足立・芦田・夜久の諸氏らが丹波から粟鹿・磯部に乱入したのに対して、太田垣新兵衛尉の軍勢が「楽音寺」に陣を構えて迎え撃ったという。
楽音寺村
がくおんじむら
[現在地名]八尾市楽音寺・西高安町四―五丁目
河内郡福万寺村の東方、南北に延びる生駒山地の西側山麓に位置する。西の山古墳の西、東高野街道より東の山寄りに立地。大和へ通じる十三街道が通る。高安郡の一番北にあたる。村域は東の山麓部から西の恩智川沿いの低地へと傾斜し、細長く東西に延びるが、東西に狭長なのは高安郡諸村の一般的傾向である。地元の伝えでは、奈良時代、集落は西の山(頂上が前記西の山古墳)より東にあった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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