安土(あづち)桃山時代の武将。近江(おうみ)(滋賀県)の名家佐々木氏の末で常陸介重茲(ひたちのすけしげこれ)の子というが確かでない。母の右京大夫局(うきょうたいふのつぼね)が豊臣秀頼(とよとみひでより)の乳母(うば)であったので、重成も幼時から秀頼に仕えた。大坂冬の陣では、初陣ながら後藤基次(もとつぐ)とともに、上杉景勝(かげかつ)、佐竹義宣(よしのぶ)と鴫野(しぎの)、今福(いまふく)に戦って武名をあげ、和議にあたっては、誓紙交換の正使として岡山の徳川秀忠(ひでただ)のもとに赴き、その堂々たる態度を賞賛された。俗説ではこれを茶臼山(ちゃうすやま)の家康のもとでのこととするが誤りである。夏の陣では、若江(わかえ)に出撃して井伊直孝(いいなおたか)の兵と戦い、力戦のすえ壮烈な討ち死にを遂げた。行年21歳とも24歳ともいう。討ち死にを覚悟して、兜(かぶと)に名香をたき込め、首実検をした家康を感嘆させたという話は有名。
[岡本良一]
『岡本良一著『大坂冬の陣・夏の陣』(1972・創元社)』
安土桃山時代の武将。木村常陸介の子とも,紀伊の地侍出身ともいわれる。幼少より豊臣秀頼に仕え,長門守と称した。大野治長らとともに,対徳川強硬派の一人であったといわれる。大坂冬の陣では,佐竹義宣,上杉景勝の兵を今福,鴫野に破って奮戦したが,夏の陣で井伊直孝と若江に戦って戦死した。首級が家康のもとに届けられたとき,頭髪に香がたきこまれていた。
執筆者:高木 傭太郎
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(山本博文)
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?~1615.5.6
織豊期~江戸初期の武将。通称長門守。豊臣秀頼に仕え,1614年(慶長19)大坂冬の陣で籠城。同年12月秀頼の使者として徳川方との和睦に臨み,徳川秀忠の誓書をうけとる。翌年夏の陣で,5月6日大坂城外の若江で井伊直孝と戦い敗死した。正確な史料は少なく,紀伊国猪垣村の地侍の子とも,木村常陸介の子ともいわれる。
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