木村重成(読み)キムラシゲナリ

デジタル大辞泉 「木村重成」の意味・読み・例文・類語

きむら‐しげなり【木村重成】

[?~1615]近世初期の武将長門守ながとのかみ豊臣秀頼仕え大坂冬の陣奮戦和議使者として、見事な進退を見せたという。大坂夏の陣戦死
塚原渋柿園歴史小説。明治40年(1907)刊。

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精選版 日本国語大辞典 「木村重成」の意味・読み・例文・類語

きむら‐しげなり【木村重成】

  1. 江戸初期の武将。長門守。幼時から豊臣秀頼に仕える。大坂冬の陣に奮戦し、講和に際して徳川秀忠誓書受取りの使者となる。慶長二〇年(一六一五)夏の陣で戦死。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「木村重成」の意味・わかりやすい解説

木村重成
きむらしげなり
(?―1615)

安土(あづち)桃山時代の武将。近江(おうみ)(滋賀県)の名家佐々木氏の末で常陸介重茲(ひたちのすけしげこれ)の子というが確かでない。母の右京大夫局(うきょうたいふのつぼね)が豊臣秀頼(とよとみひでより)の乳母(うば)であったので、重成も幼時から秀頼に仕えた。大坂冬の陣では、初陣ながら後藤基次(もとつぐ)とともに、上杉景勝(かげかつ)、佐竹義宣(よしのぶ)と鴫野(しぎの)、今福(いまふく)に戦って武名をあげ、和議にあたっては、誓紙交換の正使として岡山の徳川秀忠(ひでただ)のもとに赴き、その堂々たる態度を賞賛された。俗説ではこれを茶臼山(ちゃうすやま)の家康のもとでのこととするが誤りである。夏の陣では、若江(わかえ)に出撃して井伊直孝(いいなおたか)の兵と戦い、力戦のすえ壮烈な討ち死にを遂げた。行年21歳とも24歳ともいう。討ち死にを覚悟して、兜(かぶと)に名香をたき込め、首実検をした家康を感嘆させたという話は有名。

岡本良一

『岡本良一著『大坂冬の陣・夏の陣』(1972・創元社)』


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改訂新版 世界大百科事典 「木村重成」の意味・わかりやすい解説

木村重成 (きむらしげなり)
生没年:?-1615(元和1)

安土桃山時代の武将。木村常陸介の子とも,紀伊の地侍出身ともいわれる。幼少より豊臣秀頼に仕え,長門守と称した。大野治長らとともに,対徳川強硬派の一人であったといわれる。大坂冬の陣では,佐竹義宣,上杉景勝の兵を今福,鴫野に破って奮戦したが,夏の陣で井伊直孝と若江に戦って戦死した。首級が家康のもとに届けられたとき,頭髪に香がたきこまれていた。
執筆者:

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朝日日本歴史人物事典 「木村重成」の解説

木村重成

没年:元和1.5.6(1615.6.2)
生年:生年不詳
江戸初期の武将。木村常陸介の子と伝えられる。豊臣秀頼に仕え,長門守を称す。慶長19(1614)年,大坂冬の陣で籠城。12月21日,講和の使者として徳川秀忠の本陣岡山に赴き,秀忠の誓紙を受けとる。翌元和1(1615)年の夏の陣でも籠城。5月6日,重成勢は早朝から若江に出陣,藤堂高虎,井伊直孝勢と昼まで数回攻防,疲れたところを直孝の新手に突かれ敗走した。重成自身は踏みとどまって奮戦したが,安藤長三郎某に首を取られた。弱冠23歳の美貌の若武者だったと伝えられる。<参考文献>岡本良一『大坂冬の陣・夏の陣』

(山本博文)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「木村重成」の解説

木村重成 きむら-しげなり

?-1615 江戸時代前期の武士。
木村常陸介(ひたちのすけ)の子とも,紀伊(きい)の地侍の子ともいわれ,通称は長門守(ながとのかみ)。豊臣秀頼につかえる。初陣は慶長19年大坂冬の陣。和議の正使となり,徳川秀忠(ひでただ)の誓紙をうけとる。夏の陣では井伊直孝(なおたか)軍とたたかい,慶長20年5月6日討ち死にした。21歳とも24歳ともいう。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「木村重成」の意味・わかりやすい解説

木村重成
きむらしげなり

[生]?
[没]元和1(1615).5.6. 河内,若江
安土桃山~江戸時代初期の武将。長門守。出自は不詳。父は常陸介ともいわれる。幼少から秀頼に仕えて,慶長 19 (1614) 年大坂冬の陣には玉造口を守備し奮戦した。しかし元和1 (15) 年の夏の陣において,長宗我部盛親らと出撃して河内国八尾,若江で井伊直孝,藤堂高虎と戦って戦死。 24歳であったといわれる。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「木村重成」の解説

木村重成
きむらしげなり

?~1615.5.6

織豊期~江戸初期の武将。通称長門守。豊臣秀頼に仕え,1614年(慶長19)大坂冬の陣で籠城。同年12月秀頼の使者として徳川方との和睦に臨み,徳川秀忠の誓書をうけとる。翌年夏の陣で,5月6日大坂城外の若江で井伊直孝と戦い敗死した。正確な史料は少なく,紀伊国猪垣村の地侍の子とも,木村常陸介の子ともいわれる。

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百科事典マイペディア 「木村重成」の意味・わかりやすい解説

木村重成【きむらしげなり】

安土桃山時代の武将。長門守と称す。出身不詳。豊臣秀頼に仕え,大坂冬の陣に奮戦。講和の際は正使として徳川秀忠より誓紙を受領。夏の陣で井伊直孝と戦って敗死。出陣に際し死を覚悟して名香(みょうごう)を兜(かぶと)にたきこんだ話は有名。

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