橘御薗(読み)たちばなのみその

百科事典マイペディア 「橘御薗」の意味・わかりやすい解説

橘御薗【たちばなのみその】

摂津国川辺郡にあった摂関家領の御薗。猪名(いな)川・神崎川流域一帯,兵庫県尼崎市や伊丹市など広域にわたって散在した。柑橘の実を貢納する果実園が荘園化していったと考えられ,《康平記》の1062年の記事によると,関白藤原頼通春日詣の際に供奉人の弁当(裹飯(つつみいい))を負担している。14世紀半頃までの壬生家文書・東大寺文書・勝尾寺文書などによると,猪名(いな)荘・杭瀬(くいせ)荘(現尼崎市),呉庭(くれは)荘(現大阪府池田市),山本御園(現宝塚市),多田荘(現川西市)などと錯綜あるいは隣接して存在した時期があった。12世紀前半には摂関家の端午の節句に菖蒲を納めている。藤原道長から高陽(かや)院を経て近衛家に伝領され,同家の別荘があった。1227年近衛基通から子の浄土寺園基に譲られて近江比叡山浄土寺門跡領になった。薗内に鎌倉時代には奈良東大寺領,南北朝期には雅楽(ががく)寮領や大炊(おおい)寮領御稲(みいね)田,室町時代には山城石清水八幡宮領もあった。南北朝期には荘官職を相伝した森本(伊丹)氏や,佐藤氏などの武士が進出した。文明(1469年−1487年)頃は所職一部が京都南禅寺相国寺広田神社(現西宮市)領などとなった。戦国期には橘御薗荘ともよばれ,地元土豪守護代侵略に対抗して伊丹氏を代官に任じている。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

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