日本大百科全書(ニッポニカ) 「櫛引八幡宮」の意味・わかりやすい解説
櫛引八幡宮
くしびきはちまんぐう
青森県八戸(はちのへ)市八幡(やわた)に鎮座。誉田別尊(ほんだわけのみこと)(応神(おうじん)天皇)を祀(まつ)る。社伝によれば、1166年(仁安1)加賀美次郎遠光(かがよしじろうとおみつ)が甲斐(かい)国南部荘(しょう)(山梨県南巨摩(みなみこま)郡南部町)に八幡宮を勧請(かんじょう)、1191年(建久2)陸奥(むつ)国滝沢村(青森県十和田市滝沢)に、1222年(貞応1)に櫛引村(現在地)に遷座し、以降櫛引八幡宮と称するに至ったという。1648年(慶安1)以降、明治初期まで、盛岡藩主南部家により20年ごとに社殿の修復が加えられてきた。1871年(明治4)郷社となる。例祭は9月15日。社宝に赤糸威鎧(あかいとおどしよろい)(鎌倉時代)、白糸威褄取(つまどり)鎧(南北朝時代)の国宝2領ほか、国重要文化財の甲冑(かっちゅう)類などを蔵する。
[落合偉洲]