武井 守成(読み)タケイ モリシゲ

20世紀日本人名事典の解説

武井 守成
タケイ モリシゲ

大正・昭和期のギタリスト



生年
明治23(1890)年10月11日

没年
昭和24(1949)年12月14日

出身地
鳥取県

学歴〔年〕
東京外国語学校イタリア語科〔大正2年〕卒

経歴
大正6年宮内省式部官、10年から昭和6年宮内省楽部長、21年式部頭。来日したイタリアの指揮者・作曲家G.コメッリを招き洋楽陣容の整備に尽力。一方独学でギターと和声学を学び大正4年マンドリン合奏団“オルケストラ・シンフォニカ・タケイ”を設立、プレクトラムの音楽向上にも努めた。作曲にも活動。著書に「マンドリン・ギター及びオーケストラ」「マンドリン・ギター片影」などがある。後年その功績を記念して武井賞が設けられた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新撰 芸能人物事典 明治~平成の解説

武井 守成
タケイ モリシゲ


職業
ギター奏者

肩書
宮内省楽部長

生年月日
明治23年 10月11日

出身地
鳥取県

学歴
東京外国語学校イタリア語科〔大正2年〕卒

経歴
父は政治家・官僚で枢密顧問官なども務めた武井守正。東京外国語学校イタリア語科に学ぶ。明治44年イタリアのトリノで開かれた博覧会に通訳兼世話人として参加した際、とある家から聴こえてきたギターの音色に感動し、帰国後、日本におけるギターの先駆者である比留間賢八に師事。次いで慶応義塾大学マンドリンクラブを主宰していた田中常彦に学び、大正5年田中らとともにシンフォニア・マンドリーニ・オルケストラ(SMO)を結成。同時に月刊誌「マンドリンとギター」(のち「マンドリン・ギター研究」に改題)を創刊した。一方、父と同じく自らも官僚となり、6年宮内省式部官を経て、10年から昭和6年まで宮内省楽部長を務めた。この間、一時は演奏活動から退いたが、日本人でなければ書けないギター曲の創作を志すようになり、8年から作曲活動を開始。12年にはSMOをオルケストラ・シンフォニカ・タケヰ(オルケストラ・シンフォニカ・東京)に改組し、指揮者を務めるとともに楽団の充実に努めた。同楽団では積極的に、自作を含めた日本人作曲家の作品を取り上げた他、多くの日本人演奏家を出演させており、指揮者として招かれた人の中には菅原明朗や大沼哲らがいた。14年には大沼、菅原と共作で「三人の友の組曲」を発表(そのうちの「朝の前奏曲」を武井が作曲)。また、マンドリン合奏コンクールや作曲コンクールなども主催し、ギター・マンドリン音楽の普及に力を注いだ。21年式部頭に就任。没後、27年にその功績を記念し、優れたギター作品に贈られる武井賞が制定された。他の作品に「幻想曲〈朝鮮の印象〉」「夏の組曲」「組曲〈くだものの舞曲〉」「軒訪るる秋雨」「野遊び」「いりあひ」「即興曲」「小舞曲」「無言詩」「銀鱗」「トリーノの思い出」「星を見る」など、著書に「マンドリン・ギター及びオーケストラ」「マンドリン・ギター片影」などがある。

没年月日
昭和24年 12月14日 (1949年)

家族
父=武井 守正(政治家)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

関連語をあわせて調べる

今日のキーワード

ダブルベーグル

テニス競技において、一方の選手がゲームカウント6-0で2セット連勝することの通称。真ん中に穴が空いたパンの一種であるベーグルの形が数字の「0」に似ていることが語源となっている。1セットの場合は単に「ベ...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android

武井 守成の関連情報