コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

トリノ トリノ Torino

6件 の用語解説(トリノの意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

トリノ
トリノ
Torino

イタリア北西部,ピエモンテ州の州都,商工業都市トリノ県の県都を兼ねる。ミラノの西南西約 140km,アルプスから流下するポー川とドラリパリア川との合流点付近に位置する。モンブラン・トンネルによってフランスと結ばれている。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

トリノ(Torino)

イタリア北西部の商工業都市。サボイア家の領地時代の建築物が多く残る。サルデーニャ王国の首都、イタリア統一運動の中心地ともなった。自動車工業が盛ん。アミーチスの「クオレ」の舞台。人口、行政区91万(2008)。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

トリノ

イタリア北部,ピエモンテ州の州都。ミラノに次ぐ第2の工業都市。英・仏語はTurin。ポー川とドーラ・リパリア川との合流点にあり,イタリアとフランスを結ぶ交通の要地。
→関連項目イタリアジェノバトリノオリンピック(2006年)ピエモンテ[州]

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

世界大百科事典 第2版の解説

トリノ【Torino】

イタリア北西部,ピエモンテ州の州都でトリノ県の県都。人口94万5551(1994)。ドーラ・リパリア川がポー川に合流する地点にあり,東部には丘,北西部にはアルプスが連なる。ポー平原の西端に位置し,イタリア半島とフランスを結ぶ交通の要地を占める。旧サルデーニャ王国の首都としてかつては行政都市だったが,19世紀末以来のめざましい工業化によりミラノに次ぐイタリア第2の工業都市となった。 ローマの軍事植民市アウグスタ・タウリノルムAugusta Taurinorumとして建設され,6世紀にランゴバルドの公領,8世紀にフランクの伯領となる。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

トリノ【Torino】

イタリア北西部、アルプス山脈南麓の都市。フランスに通じる交通の要地。自動車工業が発達。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

トリノ
とりの
Torino

イタリア北西部、ピエモンテ州の州都で、商工業都市。英語名チュリンTurin。人口85万7433(2001国勢調査速報値)。コツィエ(コチエンヌ)・アルプスとグライエ・アルプスの東麓(とうろく)、ドーラ・リパーリア川がポー川に合流する地点の標高239メートルに位置する。同国とフランス、スイスとを結ぶ鉄道・道路網の要衝である。1899年ヨーロッパ最大級の自動車会社フィアット(FIAT, Fabbrica Italiana Automobili Torino)の創設と、ドーラ・リパーリア川での大水力発電所の建設を契機として、イタリアの経済発展を支える中心的工業都市となった。第二次世界大戦では大きな被害を受けたが、戦後の高度成長の過程で、花形輸出産業である自動車工業を中心に、関連諸工業が著しく発展した。その間大量の労働者が他地域から移入し、1951年に約72万であった人口は、71年には約117万人に急増した。しかし、1980年代になると減少に転じ、以降人口は減少傾向が続いている。ローマ時代からの伝統的遺産として、碁盤目状の整然とした町並みを有し、サボイア家に縁のある17~19世紀の歴史的建築物が多く残り、その一部は現在、博物館などに利用されている。たとえば17世紀の王宮には、カルロ・アルベルト王Carlo Alberto(1798―1849)によって1830年ごろ開設されたサバウダ武器博物館があり、マダマ宮殿には古代美術博物館がある。17世紀のカリニャーノ宮殿は最初のイタリア議会開催地で、今日では国立リソルジメント博物館としても利用されている。17世紀の科学アカデミー宮殿にはサバウダ美術館とエジプト博物館がある。そのほかにも、15世紀の大聖堂、18世紀のスペルガ教会、1404年創設の大学などがある。[堺 憲一]

歴史

古代ローマの植民地として建設されたが、紀元前218年にハンニバルによって破壊された。5世紀にはアラリック率いる西ゴート人がポー川流域平野に侵入し、6世紀後半にはランゴバルド人の支配下に置かれた。754年春にフランク軍がランゴバルド軍を破り、トリノに侵入した。773年にはシャルルマーニュ(カール大帝)の軍隊が占領した。12世紀初頭にはコムーネ(自治都市)がおこり、農業の中心地でありながら商業の発展がみられた。続いて、サボイア家のアメデオ3世の支配するところとなり、ドイツ皇帝フリードリヒ1世(バルバロッサ)と戦った。15世紀には、サボイア家が、トリノを政治・軍事の中心地として、反フランスの立場をとった。17世紀初頭にフランスとスペインの闘争の舞台となり、結局フランスの支配下に置かれた。1799~1814年のナポレオンの支配下では、聖職者の特権廃止やユダヤ人に対する市民的平等などの政策が行われた反面、フランスの政治的、経済的利害が優先され、市民はその犠牲となった。王政復古後、トリノは立憲運動の中心地となり、1821年には革命が起こった。また、カルロ・アルベルト王の登場でイタリアの穏和的自由主義運動が活発となり、49年以後はトリノ生まれの政治家カブールによって近代的改革が推進された。その結果、イタリアの他の地方からも多くの亡命者が集まり、リソルジメント(イタリア統一運動)の牽引(けんいん)的役割を果たした。イタリア統一達成後、1861年から64年までイタリア王国の首都であった。20世紀初頭からイタリアの経済活動の中心地となったが、このことは労働運動も活発にさせ、1920年9月には工場占拠闘争が起こった。また反ファシズム闘争では、労働者や知識人が激しく戦った。[藤澤房俊]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

トリノの関連キーワードアスティカステッロ広場パッランツァバレンティーノ公園ピエモンテイタリアワインネッビオーロバルバレスコバローロピエモンテ[州]

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone

トリノの関連情報