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トリノ Torino

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

トリノ
Torino

イタリア北西部,ピエモンテ州州都,商工業都市。トリノ県の県都を兼ねる。ミラノの西南西約 140km,アルプスから流下するポー川とドラリパリア川との合流点付近に位置する。モンブラン・トンネルによってフランスと結ばれている。古代ローマの植民都市として栄え,中世にはランゴバルド王国の一部となった。 1536~62年の間フランスに支配され,1720年以降サルジニア王国の首都として発展。 19世紀にはイタリア統一運動の中心地となり,1861~64年イタリア王国の首都。第2次世界大戦では,多くの被害を受けた。ミラノに次ぐイタリア2番目の工業都市。イタリア北西部の鉄道,道路交通の要衝として,自動車,航空機,繊維,ゴム,食品,車両,各種機器などの工業が盛ん。特に自動車メーカー,フィアットの本拠地として有名。また,リキュールの一種であるベルモットは特産物。パラッツォ・マダマ (13~19世紀) ,パラッツォ・カリニャーノ (1679) ,古代ローマの城門,聖ジョバンニ大聖堂 (15世紀) ,トリノ大学 (1404創立) ,建築・工学研究所,美術アカデミー,博物館などがある。サボイア家の王宮は 1997年世界遺産の文化遺産に登録。 2006年市内および周辺部でトリノ・オリンピック冬季競技大会が開かれた。人口 90万7563(2011推計)。

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百科事典マイペディアの解説

トリノ

イタリア北部,ピエモンテ州の州都。ミラノに次ぐ第2の工業都市。英・仏語はTurin。ポー川とドーラ・リパリア川との合流点にあり,イタリアとフランスを結ぶ交通の要地
→関連項目イタリアジェノバトリノオリンピック(2006年)ピエモンテ[州]

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世界大百科事典 第2版の解説

トリノ【Torino】

イタリア北西部,ピエモンテ州の州都でトリノ県の県都。人口94万5551(1994)。ドーラ・リパリア川がポー川に合流する地点にあり,東部には丘,北西部にはアルプスが連なる。ポー平原西端に位置し,イタリア半島とフランスを結ぶ交通の要地を占める。旧サルデーニャ王国の首都としてかつては行政都市だったが,19世紀末以来のめざましい工業化によりミラノに次ぐイタリア第2の工業都市となった。 ローマの軍事植民市アウグスタ・タウリノルムAugusta Taurinorumとして建設され,6世紀にランゴバルドの公領,8世紀にフランクの伯領となる。

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大辞林 第三版の解説

トリノ【Torino】

イタリア北西部、アルプス山脈南麓の都市。フランスに通じる交通の要地。自動車工業が発達。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

トリノ
とりの
Torino

イタリア北西部、ピエモンテ州の州都で、商工業都市。英語名チュリンTurin。人口85万7433(2001国勢調査速報値)。コツィエ(コチエンヌ)・アルプスとグライエ・アルプスの東麓(とうろく)、ドーラ・リパーリア川がポー川に合流する地点の標高239メートルに位置する。同国とフランス、スイスとを結ぶ鉄道・道路網の要衝である。1899年ヨーロッパ最大級の自動車会社フィアット(FIAT, Fabbrica Italiana Automobili Torino)の創設と、ドーラ・リパーリア川での大水力発電所の建設を契機として、イタリアの経済発展を支える中心的工業都市となった。第二次世界大戦では大きな被害を受けたが、戦後の高度成長の過程で、花形輸出産業である自動車工業を中心に、関連諸工業が著しく発展した。その間大量の労働者が他地域から移入し、1951年に約72万であった人口は、71年には約117万人に急増した。しかし、1980年代になると減少に転じ、以降人口は減少傾向が続いている。ローマ時代からの伝統的遺産として、碁盤目状の整然とした町並みを有し、サボイア家に縁のある17~19世紀の歴史的建築物が多く残り、その一部は現在、博物館などに利用されている。たとえば17世紀の王宮には、カルロ・アルベルト王Carlo Alberto(1798―1849)によって1830年ごろ開設されたサバウダ武器博物館があり、マダマ宮殿には古代美術博物館がある。17世紀のカリニャーノ宮殿は最初のイタリア議会開催地で、今日では国立リソルジメント博物館としても利用されている。17世紀の科学アカデミー宮殿にはサバウダ美術館とエジプト博物館がある。そのほかにも、15世紀の大聖堂、18世紀のスペルガ教会、1404年創設の大学などがある。[堺 憲一]

歴史

古代ローマの植民地として建設されたが、紀元前218年にハンニバルによって破壊された。5世紀にはアラリック率いる西ゴート人がポー川流域平野に侵入し、6世紀後半にはランゴバルド人の支配下に置かれた。754年春にフランク軍がランゴバルド軍を破り、トリノに侵入した。773年にはシャルルマーニュ(カール大帝)の軍隊が占領した。12世紀初頭にはコムーネ(自治都市)がおこり、農業の中心地でありながら商業の発展がみられた。続いて、サボイア家のアメデオ3世の支配するところとなり、ドイツ皇帝フリードリヒ1世(バルバロッサ)と戦った。15世紀には、サボイア家が、トリノを政治・軍事の中心地として、反フランスの立場をとった。17世紀初頭にフランスとスペインの闘争の舞台となり、結局フランスの支配下に置かれた。1799~1814年のナポレオンの支配下では、聖職者の特権廃止やユダヤ人に対する市民的平等などの政策が行われた反面、フランスの政治的、経済的利害が優先され、市民はその犠牲となった。王政復古後、トリノは立憲運動の中心地となり、1821年には革命が起こった。また、カルロ・アルベルト王の登場でイタリアの穏和的自由主義運動が活発となり、49年以後はトリノ生まれの政治家カブールによって近代的改革が推進された。その結果、イタリアの他の地方からも多くの亡命者が集まり、リソルジメント(イタリア統一運動)の牽引(けんいん)的役割を果たした。イタリア統一達成後、1861年から64年までイタリア王国の首都であった。20世紀初頭からイタリアの経済活動の中心地となったが、このことは労働運動も活発にさせ、1920年9月には工場占拠闘争が起こった。また反ファシズム闘争では、労働者や知識人が激しく戦った。[藤澤房俊]

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