狂言の曲名。雑狂言。大蔵,和泉両流にある。主人は召し使う武悪の不奉公を怒り,同じく召し使う太郎冠者に,武悪を成敗するよう命ずる。太郎冠者は主人の太刀を持って武悪の家を訪れる。相手は武芸に秀でているので,主人へ魚を進上するように勧め,武悪が川の中で魚を捕るところをだまし討ちにしようとする。が,友情が先立って討ち果たせずに逃がしてやり,主人には〈武悪を討ち取った〉と偽りの復命をする。その後,主人は冠者を伴い東山辺に来ると,武悪が現れる。冠者はあわてて主人の目をさえぎり,ちょうど鳥辺野(とりべの)が近いのを幸い,武悪に〈幽霊に化けて出てこい〉と勧める。武悪は,主命に背いて苦しむ幽霊の姿で再び登場し,あの世で大殿様(主人の父)に会ったと話し,その大殿様からの伝言と称して,小刀,扇などを主人から巻き上げる。さらに冥土には広い屋敷があるからお伴をしようと臆病な主人をおどし,逃げる主人を武悪が追い回す。登場は主人,太郎冠者,武悪の3人で,武悪がシテ。前半は狂言としては異様なまでに深刻で緊迫した雰囲気,後半は明るい喜劇性に満ちている。三人三様の性格と劇的状況がよく描き分けられている重厚な名作である。
執筆者:羽田 昶
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狂言の曲名。大蔵(おおくら)流では大名狂言、和泉(いずみ)流では雑狂言。不奉公者の武悪(シテ)を討つよう主人に命じられた太郎冠者(かじゃ)は、太刀(たち)を受け取り討っ手に向かう。冠者は、武悪に川魚の進上を勧め、生け簀(す)に入ったところを後ろからだまし討ちにしようとするが、友情が先だって斬(き)れず命を助ける。武悪を討ったと偽りの報告を受けた主人は、冠者を連れて東山へ赴く。一方、武悪も助命のお礼参りに清水(きよみず)観音へやってきて、鳥辺野(とりべの)のあたりで主人にばったり出くわす。武悪は窮余の策に幽霊を装って現れ、あの世で大殿様に会ったなどとでたらめを述べる。その大殿様の注文と称して、怖がる主人から太刀、小さ刀、扇を預かったうえ、あの世に主人を同道するよう頼まれたと脅し、逃げる主人を追い込んでいく。緊迫した前半とユーモラスな後半は異質であるが、これを統合して1曲に仕立て上げている構成は巧みである。『今昔(こんじゃく)物語集』巻17-4の霊験譚(れいげんたん)や『奇異雑談集』巻2-7の怪異譚を、この曲の原拠とみる説がある。
[林 和利]
雑狂言。主人は従者の武悪の不奉公を怒り,太郎冠者にその成敗を命じる。太郎冠者は主人の太刀をもって武悪の家を訪ねる。武悪は武芸にすぐれるため,主人に魚を進上するよう勧め,武悪が川で魚を捕っているときだまし討ちにしようとする。しかし情にほだされて逃がしてやり,主人には命をはたしたと偽って報告した。その後,主人一行が東山にいくと武悪が現れた。太郎冠者は場をとりつくろい,火葬場の鳥辺野(とりべの)になぞらえ,武悪に幽霊に化けてこいという。中入り後,武悪は主命に背いて苦しむ幽霊を装い,あの世で主人の父に会ったと偽り,言葉たくみに刀や扇を巻きあげ,主人を追い回す。前半の深刻さと後半の明るさの対比がきいた名作。
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…この夷とともに〈大黒〉や〈毘沙門〉など,室町時代の庶民信仰を代表する福徳神が,このころ狂言面として成立していった。これらを神仏の類とすれば,鬼の類に〈武悪(ぶあく)〉がある。口をへしめて怒る表情の基本は能面の〈癋見(べしみ)〉であり,それから派生したものといってよい。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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