日本大百科全書(ニッポニカ) 「母子福祉」の意味・わかりやすい解説
母子福祉
ぼしふくし
配偶者と死別あるいは離別などをした母と、その母が扶養している20歳に満たない児童からなる母子家庭の生活の安定と向上のために必要な措置を講ずる社会福祉施策をいう。1981年(昭和56)改正、1982年施行の「母子及び寡婦福祉法」(昭和39年法律第129号)が基本法となり、寡婦についても母子家庭に準じた保障が行われ、さらに2014年(平成26)の法改正により父子家庭への措置も加え、「母子及び父子並びに寡婦福祉法」と改められた。
日本における母子家庭に対する社会福祉対策は、第二次世界大戦前から講ぜられていた。救護法(1932年施行)により、母と1歳未満の乳児の貧困母子家庭に対して保護が行われたのが最初である。救護法の対象は母子家庭のごく一部であったため、母子扶助法案が国会に再三上程された。母子扶助法案は成立しなかったが、1937年(昭和12)に、内容をほぼ受け継いだ母子保護法が成立している。同じ年に軍人の妻と子に対する軍事扶助法が制定されている。第二次世界大戦後は、戦前のような軍人遺族優先の施策はふさわしくないとして、1949年(昭和24)、軍人遺族を含めた一般母子世帯を対象とした「母子対策要綱」が作成された。その後、同要綱による施策だけでは不十分となり、1952年「母子福祉資金の貸付等に関する法律」が成立した。しかし、この法律は遺族援護的な色彩が強く、母子福祉施策の中心となるような総合立法としては限界があった。また、同法の制定後、母子年金、準母子年金、母子福祉年金など、母子家庭のための年金が設けられたうえに、これらを補完する児童扶養手当がつくられるなど母子福祉施策の関連分野が広がっていった。そのため、それらを総合的に体系化し、積極的な母子福祉施策を推進していくために母子福祉法(1964)が成立した。
その後、生別母子家庭の割合が増加し、子供の年齢が20歳に近いときに母子家庭となったケースが増えてきたこと、それに、子供が成人したからといってただちに自立できる状態にはならないことなどから、子供が成人しても資金の低利貸付を受けられるような制度の新設が要望されるようになった。かつて母子家庭の母であった寡婦についても総合的な福祉施策が求められるようになり、1981年6月の法改正によって母子福祉法は母子及び寡婦福祉法と改められた。さらに「ひとり親家庭」として父子家庭の状況も着目され、2014年に母子及び父子並びに寡婦福祉法に改められた。この法律により、母子福祉資金の貸付などの経済的自立対策、就業支援事業、母子・父子自立支援員などによる支援、母子・父子福祉センターを中心とした生活指導や生業指導、公営住宅の供給に関する特別の配慮、特定教育・保育施設の利用等に関する特別の配慮などの施策が行われている。同法以外の母子福祉対策には、児童福祉法(昭和22年法律第164号)に基づく母子生活支援施設による支援、年金制度や児童扶養手当による所得保障、生活保護の母子加算、税制上の寡婦控除などがある。
「平成23年度全国母子世帯等調査」によると、母子世帯は123万8000世帯、父子世帯は22万3000世帯(推計値)である。母子家庭はその就業率の高さにもかかわらず貧困率は高く、父子家庭も厳しい状況である家庭が少なくない。子供の貧困への対策が問題化するなかで、ひとり親家庭への支援策の必要性が認識されつつある。政策で強調されるのは、子育て・生活支援、経済的支援に加え、就業支援の促進、養育費確保支援の推進である。「母子家庭の母及び父子家庭の父の就業の支援に関する特別措置法」(2013年施行)により、「ひとり親が就業し、仕事と子育てを両立しながら経済的に自立する」(厚生労働省「ひとり親家庭の支援について」平成26年3月)ことを目ざした施策が進められている。
[横山和彦・岩永理恵 2016年7月19日]
『右田紀久恵・高澤武司・古川孝順編『社会福祉の歴史――政策と運動の展開』(1977・有斐閣)』▽『植山つる著『大いなる随録――植山つるの社会福祉』(1986・全国社会福祉協議会)』