児童が人として尊重され,物心両面における健全な環境のもとで養育され,健やかな成長が保障されることを理念とした児童福祉が日本の社会福祉政策の一環として確立したのは第2次大戦後のことである。
スウェーデンの女流思想家エレン・ケイは,1900年に《児童の世紀》を著し,婦人の地位向上は女権解放でなく母性の実現にあるとして,健全な母性のあり方に深くかかわる児童の健やかな発達に世界の未来がかかっていることを説き,児童福祉,児童教育界に大いなる影響を与えた。日本では第2次大戦前までは児童に固有の人権があるという考えに乏しく,忠・孝の倫理によってその個人としての発達を抑制されていたといってよい。戦後,憲法が規定した基本的人権の考え方に基づいて制定された〈児童福祉法〉(1947公布)には,児童が心身ともに健やかに生まれ,育成されるように努める国民の責務と,それを具現する国と地方公共団体の責任とが明確にされている(1,2条)。
今日,児童の権利内容とされるものは,(1)健やかに生まれる権利,(2)健やかに育てられる権利,(3)正常な家庭生活に恵まれる権利,(4)教育を受ける権利,(5)精神的・道徳的訓練を受ける権利として整理することができる。これに対応して問題とされるべきは,児童福祉の思想とそれを達成するための政策・制度,また,理念や施策を物心両面で具現化する児童福祉処遇の実践にかかわる方法と技術の総体であるといえよう。
児童福祉の歴史は,産業革命を経ての資本主義社会の展開過程で生まれた児童・婦人の労働問題と深くかかわっている。児童を搾取や人身売買や劣悪な環境から救出しようとする児童保護活動に始まり,現代では児童の生活を健全に維持し,権利を保障する物心の援助体系として推進されるに至っている。しかしその発展やあり方は社会的背景を抜きにして考えることはできない。第1次大戦で養育者を失い,食糧も定住地さえも奪われた児童の救済問題をその重要課題の一つに掲げた国際連盟は1924年に〈ジュネーブ児童権利宣言〉を採択した。第2次大戦下におけるナチのユダヤ人や重度心身障害児の大量殺害への反省,世界各国に見られた戦争孤児や浮浪児の惨状の回復は大人の世代の責務とされた。国際連合は48年に〈世界人権宣言〉を採択し,59年に〈児童権利宣言〉を採択した。経済開発の差は先進工業国と開発途上国の児童の基本的ニーズの充足度に格差を生ぜしめた。〈豊かな社会〉にあって肥満に苦しむ児童を見る国の傍らに,餓死や栄養失調で死亡する児童が大量発生している国もあり,児童生存上の危機は南北問題としても大きくクローズアップされている。
このバランスを回復しようと国際連合は,79年に国際児童年のキャンペーンに乗り出した。日本でも問題をもつ子どもだけに特別注目する〈児童保護〉という戦前の狭い見方から,基本的人権の考え方に立って,児童問題の事後処理のみならず,すべての児童の権利を予防的に守る健全育成までも含めた〈児童福祉〉の展開に至ったのである。
明治時代における救貧施策の一つとして,政府は〈捨児養育米給与方〉を定め,1873年には〈三児出産ノ貧困者ヘ養育料給与方〉を制定した。74年の制定以来,1932年まで半世紀以上も続いた〈恤救(じゆつきゆう)規則〉は13歳以下の極貧孤児に対し,1年につき米7斗を支給するという制度を盛り込んでいた。明治年間,少年保護施設や育児施設が設立され始めたが,代表的な育児施設としては石井十次による岡山孤児院(1887)があり,民間感化院としては,留岡幸助による家庭学校(1899)があった。カトリックに基づく施設としては,横浜慈仁堂(1872),浦上養育院(1874),函館聖保禄女学校(1878)等がある。仏教に基づく施設としては福田会養育院(1879)が著名である。明治期においては政府の法的措置の遅れをよそに民間の慈善事業が多発したが,とりわけ濃尾地震(1891)や北陸恐慌等の災害を機にさらに育児事業が発展した。
明治から大正にかけて,最も発展したのは少年の感化事業である。1908年に感化法が改正され,各都道府県に感化院設立が義務づけられ,19年には国立感化院として武蔵野学院が開設された。
1918年の米騒動から大正後期にかけては日本社会事業の成立期といわれる。法規の面では22年は少年法および矯正院法が成立し,感化法が改正された。さらに大正デモクラシー期の労働運動の高まりの中で年少労働者の保護が,工場労働者最低年齢法(1923公布)や船員最低年齢法(1927公布)の中に現れたことも注目に値する。さらに関東大震災を機に託児所,乳児院や孤児院が多々設立された。昭和に入って29年には救護法が制定され(1932施行),貧困児童の施設収容も行われ,37年には貧困母子保護法が制定された。38年に厚生省が設置され,児童の保健と体力の向上をねらいとする児童保護政策を行ったが,軍事国家の体制の中において,その意図は児童の尊厳を見つめるよりはむしろ国家の人的資源の確保を目的とするものであった。第2次大戦突入後はいっそうこの政策が強化され,軍国主義国家の性格上,軍人遺家族,遺児の保護に重点が置かれ,障害児の問題はほとんど施策の外側に置かれた。また,食物も,住む家もなく浮浪化する戦災孤児の問題も大きな社会問題となった。
45年第2次大戦が終わり,国民はゼロの段階からの生活作りに再出発した。復員兵や引揚者で人口が急激に増大し,第1次ベビーブームが現れるほか,数年後には沢田美喜の養護事業に代表される混血児問題も顕在化してきた。GHQの管理下にあった政府は,社会秩序を回復すべく45年9月20日,〈戦災孤児等保護対策要綱〉を決定し,戦災孤児,引揚孤児,戦没軍人の孤児等の収容保護を行った。保護対策といってもきわめて強硬な取扱いであり,実情は〈浮浪児狩り〉と称されるとおりであった。
46年新憲法が制定,公布された。新憲法の〈すべての国民に健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を保障〉しようとする理念のもとで,47年には児童福祉法が公布された。この法律は,これまでの児童政策に流れていた要保護児童のみの保護からそれを乗りこえ次の世代の担い手となる児童一般の健全な育成を図ろうとする,全児童に対する統合的な法律である。
児童福祉の中核に児童福祉法がある。これは理念およびそれを具現するための国・公共団体の責務,および児童相談所をはじめとする行政機関と施設の機能を規定し,さらに児童福祉司などの専門ワーカーの役割を規定している。児童福祉の精神を宣言したものが児童憲章(1951年,内閣総理大臣の召集による児童憲章制定会議で制定)で,憲章は〈児童は人として尊ばれる,児童は社会の一員として重んぜられる,児童はよい環境の中で育てられる〉という憲法の精神に則した児童福祉の理念を明示した。
児童の生活に対する経済保障を取り決める法律には,父と生計を同じくしていない児童の健全育成を保障する目的で成立した児童扶養手当法(1961公布),精神または身体に障害を有する児童で,その養育者が一定額以上の所得のない場合に,障害児の生活の向上に寄与するための手当の支給を取り決めた特別児童扶養手当等の支給に関する法律(1964公布),さらには,児童の家庭養育の安定を図るため,3人以上の児童をもつ父または母または監護者に支給する手当を取り決めた児童手当法(1971公布)がある。
母子家庭にある児童を家族単位で援助するための法律として母子福祉法(1964公布,1981年母子及び寡婦福祉法に改正)がある。母と子の健康の保持・増進を図るための保健指導,健康診査,医療その他の措置を取り決めたものに母子保健法(1965公布)がある。
厚生大臣,都道府県知事,市町村長の諮問に答え,関係行政機関に意見具申をする機関として,それぞれ,中央児童福祉審議会と,都道府県児童福祉審議会,市町村児童福祉審議会の児童福祉審議会がある。
法律で定める児童福祉の業務の遂行をする専門職者は児童福祉司であり,児童福祉司や社会福祉主事に協力する民間人が都道府県知事の任命による児童委員(民生委員)である。
専門機関としては,児童福祉処遇の基盤となる判定,相談,指導,一時保護を業務とする児童相談所と,施設機関への措置権をもち,調査や送致を実施する福祉事務所,ならびに児童にかかわる諸般の保健援助を実施する保健所がある。また,児童福祉法は以下の施設を児童福祉施設としている。(1)助産施設,(2)乳児院,(3)母子生活支援施設(旧母子寮),(4)保育所,(5)児童養護施設(旧養護施設),(6)精神薄弱児施設,(7)精神薄弱児通園施設,(8)盲・ろうあ児施設,(9)肢体不自由児施設,(10)重症心身障害児施設,(11)情緒障害児短期治療施設,(12)児童自立支援施設(旧教護院),(13)児童家庭支援センター,(14)児童厚生施設(児童館,児童遊園等)。これらは第1種ないし第2種の社会福祉施設であり,公立のものもあれば,私立のものもある。これら施設の最低基準は児童福祉法に基づいて定められており,厚生省児童家庭局がその指導,監督に当たる。
保護者がいないか,保護者に養育されるのが不適当と認められる場合,一時的または継続的に自己の家庭内に預かる制度として里親制度がある。里親制度の運営は〈家庭養育運営要綱〉に基づき児童福祉審議会の議を経て行われ,里子の斡旋は,児童相談所の業務の一つとなっている。また,保護者がいないか,保護者に養育されるのが不適当と認められる児童で義務教育を終わった者を,自己の家庭に預かるか自己のもとに通わせて保護し,その性能に応じ独立自活に必要な指導をする制度として保護受託者(職親)の制度がある。
児童福祉法の1990年の一部改正によって児童福祉居宅生活支援事業が新たに加えられた。この事業は,身体障害,知的発達障害等の児童で日常生活を営むのに支障のあるものについて,その者の家庭において入浴,排せつ,食事等の介護その他の日常生活を営むのに必要な便宜を提供する児童居宅介護等事業,児童デー・サービス事業,児童短期入所事業等が含まれ,さらに97年の改正では児童自立生活援助事業が追加された。児童自立生活援助事業とは,里親もしくは保護受託者からひとり立ちした義務教育終了後の児童が,自立できるように,これらの者が共同生活を営む住居において,相談その他の日常生活上の援助や生活指導を行う事業としている。
国際的な視野で世界各国の最もめぐまれない児童の問題解決を図りつつある代表的な公的機関としては,国際連合の専門機関である国際連合児童基金(ユニセフ),国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)がある。また世界の児童の保健問題については世界保健機関(WHO)が飢饉や戦乱で食糧危機にみまわれた児童の援護に当たり,飢餓状態の人々に対しては世界食糧理事会(WFC)や国連食糧農業機関(FAO)が介入する。今日戦争や政変が人間の生存条件を奪い,難民を生む中で,難民児童に援助の手をさしのべているのは国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)である。
一方,民間サイドの国際児童機関としては国際養子縁組で長い歴史をもつ国際社会事業団(ISS)や,児童の救護事業にかかわる国際赤十字や,児童福祉の国際的連絡調整機関である国際児童福祉連合(International Union for Child Welfare)がある。
国民総生産高では,日本は世界のトップ・レベルを誇る先進工業国でありながら,いまだ母子心中という名の子殺しが行われたり,劣悪な条件下にある私的施設を利用して働きに出なければならなかったり,児童の生存権保障すら疑われる深刻な事態も多く存在する。このような状況のもとでは,つねに人権の原点に立ち戻って児童福祉の課題を見つめる必要がある。問題の焦点としては,(1)一般勤労者家族のニーズに即応した保育実践の多元化と資質向上の課題,(2)環境汚染,交通災害,過密,過疎の中での児童の生活空間の確保と,児童余暇活動の充実に向かう指導強化の課題,(3)家族生活の破壊を予防し,それでも派生する養護児童の養育を一般家庭児養育の水準にノーマライズしていく課題,(4)障害児が最適の教育を選択して受ける権利の保障,(5)福祉施策,教育施策から雇用施策への移行期にある障害青少年の全生涯的援助の拠点を地域社会の中につくりあげる課題,(6)低年齢化し,凶悪化する少年非行の社会基盤を見つめ,非行を生みだすファクターを抑制しつつ非行問題を克服していくべき課題,(7)福祉面を整備しての年少労働力健全育成の課題などが指摘できる。
執筆者:小島 蓉子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
社会の経済、政治、文化、教育、環境などと関連しながら児童の生活と発達にかかわって生み出されてくるさまざまな生活上の困難や障害(児童問題)に対応し、児童のよりよい生活と発達を固有の権利として保障することを理念に、近代資本主義社会の一定の発展段階において登場し、第二次世界大戦後の福祉国家体制の成立とともに本格的な展開をみた社会的方策制度の体系である。近年は「子ども家庭福祉」「児童家庭福祉」などともよばれる。
[中村強士 2024年1月18日]
日本において「児童福祉」という用語が初めて公の場に登場したのは、第二次世界大戦後、1947年(昭和22)1月の中央社会事業委員会小委員会による「児童保護法要綱案を中心とする児童保護に関する意見書」である。意見書は以下のような内容であった。「厚生省案の要綱をみると、保護対象の範囲は、不良少年、犯罪少年と被虐待児童が主であって、要するに特殊な問題児童の範囲を出ていない。立法にあたっては積極性を与えねばならないから、法の対象を特殊児童に限定することなく、全児童を対象とする必要がある。したがって、法の趣旨目的が一般児童の福祉の増進を図る明朗かつ積極的な意味から、法の名称も児童福祉法とするほうがよい」というものである。これを受けて中央社会事業委員会は、「不幸な浮浪児等の保護の徹底をはかり、すすんで次代のわが国の命運をその双肩に担う児童の福祉を積極的に助長するためには、児童福祉法とも称すべき児童福祉の基本法を制定することが喫緊の要務である」という趣旨の意見を、児童福祉法案に付して答申した。ここで「わが国の命運」とは、民主主義に徹底して文化国家として歩むことであり、「福祉」とは健康をはじめ生活と教育が考えられていた。
したがって、児童福祉は、前段階である特殊児童の救済や保護はもとより、すべての児童に平等に健康や生活、教育を保障するものとしてとらえられてきた。この点は、児童福祉法(昭和22年法律第164号)の総則はもとより、より具体的には、児童相談所が児童にかかわるすべての相談に応じるよう義務設置され、すべての乳幼児が保育所を、すべての少年が児童厚生施設を利用できるよう児童福祉施設が整備された経過からも明らかである。さらに、児童福祉法の理念を再度強調するために1951年に公表された「児童憲章」においても、その意味は容易に理解できよう。
[中村強士 2024年1月18日]
端的にいえば、前述した定義のなかにある、「児童のよりよい生活と発達を固有の権利として保障する」ことが児童福祉の目的となる。
児童福祉も社会福祉の一つであるから、日本の場合、日本国憲法第13条(幸福追求権)と第25条(生存権)が法律上の目的となることは明らかである。これに加えて、福祉の対象が児童であることから、憲法第26条(教育権)が目的に加わる。つまり、憲法で定める幸福追求権を中心に生存権と教育権の3権で構成されるのが児童福祉の目的である。児童福祉の目的は、憲法に定める幸せに生きる権利、育つ権利、守られる権利を保障することであり、これを具体化したのが児童福祉法をはじめとする各種児童福祉関係法である。ただし、いま一つ付け加えなければならないのが「参加する権利」である。
1989年に国連で採択され、1994年(平成6)に日本が批准した「子どもの権利条約(児童の権利に関する条約)」では、生きる権利、育つ権利、守られる権利、そして参加する権利の四つの権利を遵守するよう締約国に義務づけている。参加する権利とは、自分の思いや願いを、自由に所持し、表現し、表明し、仲間を集めることのできる権利である。現行法規において、児童の参加する権利の保障は抽象的であり、今後の児童福祉に求められる課題である。なお、児童期は人生の出発点であるがゆえに、児童福祉は社会福祉の出発点でもあり、その土台を形づくる重要な意味をもっていることを付言しておく。
[中村強士 2024年1月18日]
児童福祉の対象は児童問題である。児童問題とは、社会の経済、政治、文化、教育、環境などと関連しながら児童の生活と発達にかかわって生み出されてくるさまざまな生活上の困難や障害のことである。児童をめぐる貧困、遺棄、虐待、堕胎、殺害、労働、障害の問題をすぐに思い浮かベることができるだろう。児童福祉の目的に照らしていえば、生きる権利、育つ権利、守られる権利、参加する権利が侵害されるあらゆる事象が児童問題といえる。さらには、これらの児童問題のなかから児童福祉の主体が「問題」と取り上げたものが、いわば狭義の児童問題といえる。児童本人が「問題」として抱えていたとしても、これを解決する術(すべ)をもたない場合、児童福祉はその児童本人にかわって「問題」としてとらえ、必要な施策を講じることができる。しかし、児童福祉の主体がその「問題」を発見できなければ、広義の児童問題ではあるものの、児童福祉が必要な施策によって解決しうる狭義の児童問題ではないことになる。
日本の場合、児童福祉の主体は、保護者および国と地方公共団体で、保護者は自明のことである。児童福祉法では、国および地方公共団体は保護者「とともに」児童の育成責任を負うことが定められている。ここで注意すべきは、保護者の養育責任を公的責任に優先させて、これができない場合に事後処理的に公的責任を発揮するというものではないことである。保護者に責任があるからこそ、これが十分に果たせるように必要な条件を積極的に援助する公的責任が重要である。また、児童福祉法の第2条で、すべての国民が児童に対して心身ともに健やかに生まれ、育成されるよう努めることが定められている。その点では、すべての国民もまた児童福祉の主体といえる。
[中村強士 2024年1月18日]
児童福祉は、法律や制度によって児童問題を解決することが中心である。日本においてその法律とは、児童福祉法をはじめ、児童手当法、児童扶養手当法、特別児童扶養手当等の支給に関する法律、母子保健法、母子及び父子並びに寡婦福祉法、児童虐待の防止等に関する法律など、児童および保護者の福祉を保障する諸法律をさす。それとともに、社会福祉法、生活保護法、障害者基本法、身体障害者福祉法、知的障害者福祉法など社会福祉関係の法律が制定・整備され、さらに、教育基本法、学校教育法をはじめとする教育関係の法律や労働基準法、少年法などの関連法律も制定・整備され、法制面の充実が図られてきた。なお、こども基本法(令和4年法律第77号)が児童福祉法等こどもに関する諸法律を包括的に保障するものとして、2022年(令和4)6月に成立し、翌2023年4月から施行された。
児童福祉を担当する機関としては、こども家庭庁、地方公共団体の民生部あるいは福祉部が行政上の責任を果たすとともに、児童相談所、福祉事務所、保健所などが専門機関として、調査判定、入所措置などの重要な役割を果たしている。さらに、児童福祉法に基づいて各種児童福祉施設が設置されるとともに、児童指導員、児童自立支援専門員、児童の遊びを指導する者(児童厚生員)、保育士・児童生活支援員、母子支援員、医師、セラピスト(理学療法士、作業療法士など)、保健師・助産師・看護師、栄養士、調理員、事務員などが必要に応じて配置されている。また、児童委員、主任児童委員、保護司、スクールソーシャルワーカーなども児童福祉の重要な役割を担う。
[中村強士 2024年1月18日]
1990年代以降、児童福祉を「子ども福祉」「児童家庭福祉」「子ども家庭福祉」といいかえて使用するものが多くみられるようになった。この理由として第一に、「児童」は年齢規定が不統一であり(「子ども」は「子どもの権利条約」第1条で「18歳未満のすべての者をいう」と定義されている)、子どもの権利保障を実現するためには、いままで保護される者という受動的な意味で用いられてきた「児童」より、権利行使の主体であるという福祉観を反映した「子ども」という用語で統一したほうがよいためといわれている。第二に、現代社会においては「児童」だけでなくその「家庭」もあわせて福祉の対象とすべきといわれている。第三には、「児童福祉」には救貧的・慈恵的・恩恵的性格が色濃く残されており、親が子どもの養育に責任をもつことを第一義的にしているが、現代においては子どもの人権の尊重・自己実現を保障するという視点も加わってきているという背景がある。今後は、これまでの歴史的経緯を踏まえた、子どもの権利保障を実現するための児童福祉概念の発展とそのもとで具体化される法制度が求められる。
2016年(平成28)6月、児童福祉法が施行されて初めて第1条~第2条の「基本原理」が改正された。すなわち、第1条は「全て児童は、児童の権利に関する条約の精神にのつとり、適切に養育されること、その生活を保障されること、愛され、保護されること、その心身の健やかな成長及び発達並びにその自立が図られることその他の福祉を等しく保障される権利を有する」と、児童の権利に関する条約(通称・子どもの権利条約)の精神にのっとることが明文化された。続く第2条第1項では「全て国民は、児童が良好な環境において生まれ、かつ、社会のあらゆる分野において、児童の年齢及び発達の程度に応じて、その意見が尊重され、その最善の利益が優先して考慮され、心身ともに健やかに育成されるよう努めなければならない」と、権利条約の精神である子どもの意見の尊重や最善の利益の優先も明文化された。しかし、旧2条で定めていた「国及び地方公共団体は、児童の保護者とともに、児童を心身ともに健やかに育成する責任を負う」という文言を同条第3項として残しつつ、「児童の保護者は、児童を心身ともに健やかに育成することについて第一義的責任を負う」を同条第2項に新たに規定した点は、国および地方公共団体は保護者「とともに」児童の育成責任を負うとした旧法の趣旨とは矛盾していると思われる。
[中村強士 2024年1月18日]
『一番ヶ瀬康子編『児童福祉論』(1974・有斐閣)』▽『網野武博著『児童福祉学――「子ども主体」への学際的アプローチ』(2002・中央法規出版)』▽『菊池正治・細井勇・柿本誠著『児童福祉論――新しい動向と基本的視点』(2007・ミネルヴァ書房)』▽『高橋重宏監修『日本の子ども家庭福祉――児童福祉法制定60年の歩み』(2007・明石書店)』▽『浅井春夫編著『シードブック 子ども家庭福祉』(2011・建帛社)』▽『柏女霊峰著『子ども家庭福祉学序説――実践論からのアプローチ』(2019・誠信書房)』▽『垣内国光他編『子ども家庭福祉――子ども・家族・社会をどうとらえるか』(2020・生活書院)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…児童福祉法(1947公布)40条にもとづき,〈健全な遊びを与えて,その健康を増進し,又は情操をゆたかにすることを目的〉につくられたすべての児童を対象とする児童厚生施設。発足当初は,国庫補助の対象からはずされていたために普及しなかったが,1963年の厚生省通達によって補助が開始されてから数が増加し,80年代には約3000館,94年には約4100館を数えるに至った。…
※「児童福祉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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