比較芸術学(読み)ひかくげいじゅつがく(英語表記)Vergleichende Kunstwissenschaft ドイツ語

日本大百科全書(ニッポニカ) 「比較芸術学」の意味・わかりやすい解説

比較芸術学
ひかくげいじゅつがく
Vergleichende Kunstwissenschaft ドイツ語

民族や文化圏を異にする芸術の相互比較研究。諸民族、諸文化圏にそれぞれ固有な芸術精神を明らかにしようとする芸術学上の立場。比較芸術学という場合、その内実は比較美術学であるのが一般であり、音楽演劇文学についてはそれぞれ比較音楽学、比較演劇学、比較文学が独立した学科として存在する。

[川上明孝]

比較芸術学の成立

このような意味での比較芸術学は、D・フライが1949年に著した『比較芸術学の基礎づけ』に始まるものとみられるが、その淵源(えんげん)は19世紀後半にさかのぼる。すなわち、古典主義的芸術を美の唯一の基準とみなす近代美学を排して、各時代、各民族の相異なる様式が平等の権利をもって併存することを容認しようとする芸術学の立場は、すでに比較研究の要素を含んでいた。リーグルは、『後期ローマ時代の工芸』(1901)において、古代美術の様式の発展を、(1)触覚的―近視的(古代エジプト)、(2)触覚的・視覚的―正常視的(古典時代)、(3)視覚的―遠視的(後期ローマ帝政時代)の三つの段階に区分したうえで、それまで古典芸術の衰退し野蛮化したものとして無視されていた後期ローマの芸術が、実は前代から内的必然性をもって発展したものであることを明らかにしていた。

 またリーグルの「芸術意志」の思想を継いだボリンガーは、『抽象感情移入』(1908)において、その芸術意志を、外界との幸福な親和関係に基づく「感情移入衝動」と、外界への恐れや不安に根ざす「抽象衝動」の二つの方向に区分することによって、従来顧みられなかった原始的人間や東方の諸民族の芸術様式を正当に評価する道を開いている。さらにまた、このように芸術様式を芸術意志や世界観との相互関係から考察する試みは、M・ドボルザークによって精神史の方向へ推し進められ、芸術の歴史は、宗教や哲学や文芸の歴史と同様に、一般精神史の一部とみなされるようになった。そしてドボルザークのこの精神史的立場を引き継いだのがフライであり、前掲書において彼は、七つの文化圏(エジプト、ギリシア、西欧、東欧、近東、インド、東亜)の造形芸術を相互に比較し、それらに固有な様式性格の解明を試みた。

 その際フライは、造形芸術が身体的表現もしくは空間的表現であるという考えに基づいて、比較のための四つの基本カテゴリーを設定する。すなわち、身体的表現に応ずるものとしての直立モチーフと運動モチーフ、空間的表現に応ずるものとしての目標モチーフと進路モチーフである。これらのモチーフを比較の基準として彼は、民族的・文化的に制約された特殊な空間・時間体験の様相を明らかにしようとした。そもそもフライによれば、比較芸術学とは比較精神史にほかならず、比較精神史とは、因果的に演繹(えんえき)することも説明することもできず、唯一的・一回的な創造であるところの歴史的文化の創造を、実存的な全体性としてとらえる試みなのである。このような比較研究は第二次世界大戦後ますます活発になり、フライをはじめ、A・マルロー、B・ローランド、M・サリバン、H・リュツェラーらが行うとともに、日本においてもまとまった研究成果が出されている。なお、美術と文学、文学と音楽のように芸術ジャンル相互を比較する研究は、普通、比較美学とよばれて、比較芸術学から区別される。

[川上明孝]

『ボリンガー著、草薙正夫訳『抽象と感情移入』(岩波文庫)』『フライ著、吉岡健二郎訳『比較芸術学』(1961・創文社)』『マルロー著、小松清訳『東西美術論』(1957・新潮社)』『ローランド著、八代修次他訳『東西の美術』(1963・筑摩書房)』『サリヴァン著、中川晃訳『東西美術の交流』(1976・洋販出版)』『山本正男監修『比較芸術学研究』全六巻(1974~81・美術出版社)』

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