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民約訳解 みんやくやくかい

大辞林 第三版の解説

みんやくやくかい【民約訳解】

1882年(明治15)刊。ルソーの「社会契約論」を中江兆民が翻訳したもの。

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世界大百科事典 第2版の解説

みんやくやくかい【民約訳解】

J.J.ルソー社会契約論》の中江兆民による漢文訳。兆民主宰の仏学塾出版局発行の雑誌《政理叢談》に原著の第2編第6章まで訳載され,その後中断したまま終わっている(第1編のみ1882年単行本として出版)。全訳としては服部徳(1877),原田潜(1883)の訳があるが,兆民訳が著名なのは,単なる逐語訳でなく,独特の〈解〉を付したことによると考えられる。また読みやすい日本語訳でなく,白文の漢文で訳したのは《史記》を〈真に天下の至文〉とし,漢文の簡潔で豊富な表現力に傾倒,その素養を深めることこそ文に長ずる道とみていた文人兆民の漢文修業の労苦の結晶であり,そのことが〈東洋のルソー〉の名を高める一因にもなった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

民約訳解
みんやくやくかい

中江兆民(なかえちょうみん)の著作。ジャン・ジャック・ルソーの『社会契約論』を翻訳し、訳者による「解」をつけたもの。漢文訳である。兆民の主宰する雑誌『政理叢談(せいりそうだん)』の第2号(1882年3月10日)から第46号(1883年9月5日)まで、26回にわたり掲載された。このうち第11号までに掲載された原書第1巻に相当する部分は、『民約訳解巻之一』として、1882年(明治15)10月、仏学塾出版局から単行書として出版された。兆民には別に仮名交じり体で訳した『民約論』があり、74年ごろよりその筆写本が世間に流布していたが、流麗な漢文で発表された『民約訳解』は、民権派人士に歓迎され自由民権運動に大きな影響を与えた。[松永昌三]
『『中江兆民全集 第一巻』(1983・岩波書店)』

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世界大百科事典内の民約訳解の言及

【社会契約説】より

…社会契約説はなおベッカリーア,カント,若いフィヒテらによって採用されたものの,だいたいフランス革命の終了とともに理論的生命を失ったが,権利義務関係としての公的秩序という近代国家の機構の背景にはなお潜在しているといってよい。 日本では中江兆民によるルソー《社会契約論》の翻訳(《民約訳解》1882)に代表されるように,自然権の理論(天賦人権論)と結びついて,明治初年に紹介され,1880年ごろから盛んになった自由民権運動の一つの理論的支柱となった。しかし,国会開設,憲法制定の要求に対して,加藤弘之らが当時ヨーロッパにおいて優勢であった社会進化論的権利論を導入して批判を加えるに及んで,時代遅れの理論とされてしまい,明治憲法の欽定によって問題がいちおう決着したこともあって,社会契約説は理論的にも精神的にもついに根づくことができなかった。…

【中江兆民】より

… 思想家としての彼の特色は,西洋についての学識を単に知識として伝達啓蒙するだけでなく,一つ一つ伝統的思想の内部にある潜在的な要素とつきあわせ,その異同の吟味を通じて伝統思想の内側から普遍的価値に接近していこうとする態度をつくりあげた点にある。彼が〈東洋のルソー〉と称される機縁となった《民約訳解》(1882)はその代表的作品である。彼の〈民権至理也自由平等是れ大義也〉という確信は〈民権自由は欧米の専有に非ず〉とする認識と結びついていた。…

【ルソー】より


[日本への影響]
 日本でルソーの影響を受けた代表的な人物を挙げるなら,政治的著作をとおしては中江兆民,文学的著作をとおしては島崎藤村の2人である,と答える人が多数であろう。兆民は《社会契約論》を第2編第6章まで漢訳し,《民約訳解》として刊行した。国会開設を目標とする彼の政論は,この開設をもって〈社会契約〉とみなし,共和制の実現を期するものであって,本書の精読が基礎になっている。…

※「民約訳解」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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