水没している遺跡・遺物を対象とする考古学。ヨーロッパやアメリカの一部の考古学者のなかには「地中海考古学」とか「沈船考古学」とかの用語を慣用し、その対象を限定する学者もいる。水中考古学は考古学のフィールドを水底にまで拡大したものであって、水没しているすべての遺物・遺跡を対象としている点、陸地上の考古学と異なるものではない。ただ、水を克服しなければならないため、陸上とは異なる科学技術を必要とするという意味においてのみ、従来の考古学と異なる研究領域である。
ヨーロッパの場合、水中考古学の発展の端緒となったのは、19世紀中ごろ、スイス、チューリヒのフェルディナンド・ケラーFerdinand Keller(1800―1881)によるファヒイコン湖南岸ローベンハウゼンの湖上住居跡の確認である。以来、スイスのボーデン(コンスタンス)湖から数万本の杭(くい)が検出され、古代水辺生活の具体的な復原が可能となり、ヌーシャテル湖の下層遺跡がコルテヨ文化(前2250)の標式となった。また、ギリシア南部のアンティキテラ、イタリア北部のアルベンガ、トルコ西部のヤシ・アダなどの沈船の調査などにより、陸上では得られない貴重な情報が得られるようになった。1960年代には水中考古学会が結成され、その年報も発刊されるようになっている。技術的にも、アメリカのジョージ・バスGeorge Fletcher Bass(1932―2021)による1960年のトルコ南部、ゲリドニアの後期青銅器時代の沈船、1958年から7年間にわたるヤシ・アダのビザンティン帝国時代の沈船の調査が諸科学を援用し、陸上と同じ考古学的方法を組織的に実践し、成功するに至っている。
日本の場合、すでに、18世紀に木内石亭(きうちせきてい)の『雲根志』や藤貞幹(とうていかん)(1732―1797)の『集古図』などによって、琵琶(びわ)湖や瀬戸内海の水中から古代遺物の発見されていることが紹介されている。しかし、水中遺跡の存在が広く知られるようになったのは、明治末年、琵琶湖の葛籠尾崎(つづらおさき)の湖底から多数の土器が引き上げられ、学会に紹介されてからである。現在、網走(あばしり)湖、諏訪(すわ)湖、野尻(のじり)湖、浜名湖、琵琶湖、瀬戸内海、中海(なかうみ)(山陰)、五島列島海域などに、住居や日常生活の諸器具、信仰・交易・水軍関係などの諸遺物・遺跡が水没していると考えられるが、これまで、琵琶湖、浜名湖、網走湖などのわずかな調査例にとどまり、目だった調査業績はみられなかった。
ただし、湖底遺跡の存在が早くから知られていた琵琶湖では、1959年(昭和34)に、京都新聞創刊80周年記念事業として『琵琶湖総合科学調査』が実施され、葛籠尾崎湖底遺跡に対して、地質学・物理学・生物学・考古学などの自然・人文科学の各分野の研究者が参加し、潜水探査・音響探査・ボーリング調査・水中カメラによる湖底の撮影など、当時の最先端の技術を駆使した水中調査が実施された。また、1970年代以降の海洋開発時代に対処するための時代的要請もあって、1980年に文化庁が水中調査の技術開発と研究を目的にした粟津(あわづ)湖底遺跡の調査を実施するなど、湖底遺跡の調査が実験的に実践されてきた。
さらに1980年代には、近畿の水瓶(みずがめ)である琵琶湖の水資源を確保するための琵琶湖総合開発事業が最盛期を迎えたのに伴い、考古学の専門家が直接潜水し、エアーリフトを用いた発掘や網枠などを用いた測量、また写真撮影を行うなど、湖底遺跡の発掘調査も本格化するようになった。また鋼矢板(こうやいた)を打ち込み、調査区の内部を排水して陸地上と変わらない発掘調査を実施することで、水中という障害を克服したことは画期的であった。こうした調査を通じ、国内最大級の淡水産貝塚である粟津湖底遺跡の調査では、どんぐり、橡(とち)、ヒョウタン、クリなどの豊富な植物遺体が検出され、唐橋遺跡では、壬申(じんしん)の乱(672)のころの「勢多(せた)橋」と考えられる特異な構造をもつ橋脚遺構が発見されるなど、水のもつ有機質に対する保存能力により、水底遺跡には陸地上では得がたい数多くの情報が内蔵されていることを明らかにしてきた。
[田中勝弘]
『ジョージ・F・バス著、水口志計夫訳『水中考古学』(1974・学生社)』▽『B・J・ウィルクス著、本荘隆訳『水中考古学概説』(1978・学生社)』▽『荒木伸介著『水中考古学』(1985・ニュー・サイエンス社)』▽『ピーター・スロックモートン著、水口志計夫訳『水中考古学の冒険――エーゲ海にアンフォラを引上げて』(1988・筑摩書房)』▽『ロバート・F・バージェス著、月村澄枝訳『海底の1万2000年――水中考古学物語』(1991・心交社)』▽『『琵琶湖と水中考古学――湖底からのメッセージ』(2001・大津市歴史博物館)』▽『井上たかひこ著『水中考古学への招待――海底からのメッセージ』改訂版(2002・成山堂書店)』▽『小江慶雄著『水中考古学入門』(NHKブックス)』▽『小江慶雄著『琵琶湖水底の謎』(講談社現代新書)』
地盤の沈下や水位の上昇によって海,湖,池沼,河川などの水底に没した遺跡や,沈没船などを対象とする考古学の一分野。海中で作業するものを海中考古学と呼んで特に区別することもある。潜水技術や排水機器の進歩によって科学的な方法による調査が可能となり,ようやく近年,考古学の一分野として認知されるようになった。水中での作業という制約を克服すれば,地上の発掘では得られない貴重な資料を入手することも可能である。たとえば難破船の場合,交易品や生活用具などが一時に大量に埋没しており,これを調査することによって当時の船舶技術,交易ルートから日常雑器にいたる多様な事物が判明する。また,通常遺存しにくい木製品などの有機質の器物が空気から遮断された状態で残っていることも多い。1853年ころ,大干ばつによってスイスのチューリヒ湖底から新石器時代の杭上住居が見つかり,1922年以来メキシコのチチェン・イッツァ遺跡などでは,セノテという井戸の一種において潜水が試みられ,マヤ文明に属するさまざまな器物が発見されている。これらが初期の例で,1950年代を境にアクアラングが採用され,トルコのケープ・ゲリドニヤやヤシ・アダにおけるJ.F.バスの調査では,ミュケナイ文化の遺物をはじめ古典古代やビザンティン期の難破船を発見するという成果があった。北欧におけるバイキング船や17世紀の戦艦バーサ号の引上げも著名で,これらは保存科学の発達をうながす契機ともなった。
日本では唐古池,諏訪湖曾根遺跡,琵琶湖,野尻湖などの湖沼や瀬戸内海でわずかに試みられただけだが,本格的な調査が行われている函館近海の開陽丸の場合は,武器,日常雑器のほか古文書類など興味深い資料を提供した。1976年,韓国の新安沖合では14世紀と考えられる沈没船が発見され,中国製陶磁器をはじめ大量の積荷が引き上げられた。
執筆者:山本 忠尚
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…このほか,特定の課題や生活分野を取り扱う部門として,環境と人間のかかわり合いを研究する環境考古学,産業革命期を中心とした時代の産業技術を研究する産業考古学,キリスト教関係の建物や遺物を研究するキリスト教考古学,聖書の記述と遺跡・遺物の対比研究を行う聖書考古学,仏教考古学,美術考古学などが成立している。また,特定の方法・技術を駆使して研究を推進する部門として,航空写真の判読を行う航空考古学,潜水して水底の遺跡を調査する水中考古学,過去の技術を実験的に復原して仮説を検証したり,仮説構成のためのデータを得ようとする実験考古学などが成立している。
【資料の収集】
昔の考古学者は偶然の発見物に頼ることが多かったが,現在は研究者自身が綿密な踏査を行い,地表の不自然な凹凸や,散らばっている遺物を手がかりにして遺跡の分布を調べ,発掘を行う。…
※「水中考古学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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