改訂新版 世界大百科事典 「ミュケナイ文明」の意味・わかりやすい解説
ミュケナイ文明 (ミュケナイぶんめい)
アルゴリスのミュケナイを中心として栄えたギリシア本土の青銅器文明。後期ヘラドス文化にあたり,前1600年ころから前1200年ころまで続いた。新来のインド・ヨーロッパ語系諸族が先住民と融合して発達させてきた中期ヘラドス文化は,ミノス文明に接触すると大変化を起こした。すなわち従来の農業・牧畜を主とする社会は果樹栽培と海上貿易というエーゲ的生活に入り,そこに強大な勢力が出現し,文化はミノス文明の系統に転換する。ここにミュケナイ時代が始まる。そのあかしがミュケナイ,ティリュンス,ピュロス,オルコメノスの諸王国であり,壮大な城塞と墳墓と豪華な財宝である。諸国の交易圏はクノッソス時代の規模よりはるかに大きく,前14~前13世紀には繁栄の頂点にあったが,前12世紀ころからのドリス人の侵入による混乱のなかで崩壊した。
ミュケナイ文明はミノス文明を継承したものであるが,社会は異なっていた。この時代はホメロスや他の叙事詩の英雄たちが活躍する,いわゆる〈英雄時代〉であり,詩による美化ばかりでなく,遺跡と遺物はこの社会が尚武的であり,社会の中核は戦士階層だったことを示している。王は神をまつるけれどももはや司祭王ではなく,現実的な権力者であり,国土の所有者であった。信仰の面においても,インド・ヨーロッパ語系諸族本来の天なる男性神とミノス文明の地母神的な女性神(正しくは神々)とが混合していた。またミュケナイやピュロス,彼らが支配したクノッソスから多数の粘土板文書が出土しているが,その文字は線文字Aから少し変化した線文字Bで,書かれている言葉はギリシア語の古型である。このことは,ミュケナイ文明がミノス文明に追従しながらも,自己の本性を堅持していることを象徴している。
建築物は独自性が強い。巨石で築いた堅牢な城壁をめぐらした王の住居は,宮殿というより城塞であり,その築城術は優れ,ことにティリュンスに典型をみる巨石は,一つで6m×8m×3mに達するものも珍しくない。わずかに加工した自然石を積み,その隙間に小石を入れただけで,今日も現存するそれらの城壁はミュケナイ人の建築的才能を示すものである。しかもここでは城壁の幅は6mから10mもあり,東側と南側では幅17.5mの壁の内部に地下廊と見張所を設けている。また,ミュケナイでは美しい切石をも使用している。
このような高度な工学的技術の持主であればこそ,壮大・荘重な大地下墳墓であるトロス(穹窿墓)をつくることができたのである。トロスの円堂の構造は城壁内の廊下の天井と同じ持送手法でつくられた。トロスはミュケナイ文明の範囲を示すものでもあり,この記念碑的墳墓こそ英雄時代にふさわしい。なお城塞内の建物は,ミノスの宮殿とは異なり,独立の建物の集合であって,中心をなすのが規模と構造において突出した大メガロンだった。このメガロン(間口と奥行きの比が1対2)も,ミュケナイ文明の特徴的な遺構である。メガロンをはじめ主要な部屋は,ミノス風にまたミノス風の壁画で飾られたが,筆法は硬く,色彩は濁っている。画題としては花鳥画や官女もあるが,戦闘,狩猟,戦士と馬など尚武的な主題が描かれ,クレタと同じ服装をした官女も,ときには戦車に乗った場面が描かれている。画家の関心は自然よりも人間にあった。したがって自然主義は衰え,生命力と意志の持主としての人間が自然を圧倒して表され,それは壁画に限らずミュケナイ出土の人面をかたどった黄金マスクなどにも示される。彫刻には優れたものは少なく,まったく形式化して下半身が円筒状になった土偶が多い。
金工品ではさきの黄金マスクのほかに黄金製の容器に秀作があり,象嵌した作もある。金工の優秀さは武器にも表れ,象嵌した宝剣の類が注目される。陶器の文様は初期のクレタ風のタコ,イカ,貝,草花などがしだいに原形を判じがたいほど抽象化されるが,この抽象化はシンメトリーを目ざしており,ミュケナイ美術全般における構築性と通じる。これはギリシア人の本性が増幅されたのであって,暗黒時代を経て,前9世紀ころに始まる幾何学様式へとつながる。
→エーゲ文明 →ミノス文明
執筆者:村田 数之亮
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報