イスラム世界やイスラム諸国の統合を目ざす思想、運動または政策。
[田北亮介]
汎イスラム主義の思想的代表者としてはジャマールッディーン・アル・アフガーニーをあげることができる。アフガーニーは、ヨーロッパ帝国主義の西アジア・北アフリカ侵出を、全ムスリム(イスラム教徒)にとっての共通の危機とみなし、民族独立と反帝国主義のために被圧迫人民の連帯を呼びかけた。彼は反帝国主義の立場から、初期イスラムの原理のなかに変革の論理を読み取ってイスラム復興を唱え、ムスリムの政治的自覚や自己変革、団結を訴えた。こうして彼はアジア・アフリカのナショナリズムの先駆者となった。また彼は、外国支配の打破をシャーリアー(イスラム法)に基礎づけ、このシャーリアーの護持にイスラムの統治者の正統性を求めることによって、反帝国主義と反専制とを表裏一体のものととらえた。
[田北亮介]
これに対し、オスマン帝国のイスラム世界・アラブ諸地域支配のイデオロギーとしての汎イスラム主義がある。19世紀末の西アジアは、西欧諸国の侵略と金融的支配を受けながらも形式的独立を保っていた「オスマン帝国主義」がアラブ諸地域を支配するという重層的構造をなしていた。とくに、オスマン帝国第34代スルタン、アブデュル・ハミト2世(在位1876~1909)は、イスラム世界のスルタン=カリフとしてふるまい、アラブ諸地域の自立を抑えるイデオロギーとして、ムスリムの結集を呼びかけた。この際に、汎イスラム主義は、非アラブのオスマン帝国がアラブを支配するための支配イデオロギーとなった。さらにアブデュル・ハミト2世を退位させ、立憲君主制を回復した「青年トルコ」運動も、領域諸民族の自治独立を押さえ付けるために、トルコ主義、汎イスラム主義を受け継いだ。アフガーニーの汎イスラム主義は、オスマン帝国の汎イスラム主義とは基本的には対立する思想的立場である。しかし現実には、イスラムの共同体(ウンマ)の連帯が存在しないところで汎イスラムの連帯を強調し、カリフのもとでイスラム帝国の再建を提唱したアフガーニーの汎イスラム主義には、オスマン帝国の汎イスラム主義に利用される面があった。事実彼は、一時的にではあるが、オスマン帝国の宣伝局に属したことがあった。
第一次世界大戦によるオスマン帝国の解体によって、汎イスラム主義は衰退したが、その後も旧支配層が民族解放運動を利用する際のシンボルとして、また帝国主義による民族運動攪乱(かくらん)の道具として使われ、さらには第二次世界大戦後、冷戦のなかで反共イスラム諸勢力の結集のシンボルとして利用された場合もあった。その後サウジアラビアがイスラム諸国の同盟を提唱し、「イスラム諸国首脳会議」が開かれるようになった。1969年の首脳会議で「イスラム諸国会議機構」の設立が決まり、1971年5月に創設された(2011年、イスラム協力機構に改称)。
[田北亮介]
『加賀谷寛「西アジアにおけるナショナリズム」(『思想』1960年12月号所収・岩波書店)』▽『板垣雄三著『イスラム改革思想』(『岩波講座 世界歴史 21』所収・1971・岩波書店)』▽『立花亨著『イスラム主義の真実』(1996・勁草書房)』▽『鈴木董著『オスマン帝国とイスラム世界』(1997・東京大学出版会)』▽『ディリップ・ヒロ著、奥田暁子訳『イスラム原理主義』新装版(2001・三一書房)』▽『講談社編・刊『アメリカ vs.イスラム――宿命の永久戦争の世紀』(2001)』▽『宮田律著『現代イスラムの潮流と原理主義の行方』(2002・集英社)』▽『加藤博著『イスラム世界論――トリックスターとしての神』(2002・東京大学出版会)』▽『日本イスラム協会・板垣雄三ほか監修『新イスラム事典』(2002・平凡社)』▽『中村廣治郎著『イスラム教入門』(岩波新書)』▽『W・C・スミス著、中村廣治郎訳『現代イスラムの歴史』上下(中公文庫)』▽『山内昌之著『イスラームと世界史』(ちくま新書)』▽『宮田律著『現代イスラムの潮流』(集英社新書)』▽『ハミルトン・A・R・ギブ著、加賀谷寛訳『イスラム入門』(講談社学術文庫)』
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