日本歴史地名大系 「江良村」の解説
江良村
えらむら
慶長一五年(一六一〇)の検地帳は
「山口県風土誌」には村内の字として
江良村
えらむら
江良村
えらむら
江良村
えらむら
検討の余地は残るが「小田郡誌」に収める天正三年(一五七五)一二月一八日の毛利輝元宛行状に「弐百貫 江良村」とある。「小田物語」によれば元和五年(一六一九)旗本花房領となる。寛永備中国絵図では高九二二石余。延宝三年(一六七五)幕府領となり(小田物語)、同五年の検地帳(中川村誌)では古検有畝五六町九反余とあり、田方五〇八石余・三七町五反余、畠方一三二石余・二二町八反余、屋敷数九二筆(高二八石余)で、田は上田・中田、畠は中畠・下畠が多い。
江良村
えらむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報