陶磁器をおおうガラス状の被膜,釉(うわぐすり)の上に赤や緑,黄,紫,藍などガラス質の色釉(いろぐすり)で文様を施したもの。赤を主調とするところから日本でとくに赤絵と総称され,また色絵とも呼ばれ,中国では五彩と呼んでいる。また釉の上に着彩されるところから上絵(うわえ)とか上絵付とも呼ばれる。赤絵は上絵付ものの一種であるが,着彩にはさまざまな中間色を含む色彩を表し,明治以後西欧から輸入され,日本でも改良普及した西洋絵具と和釉(わぐすり)と呼ぶ伝統的な絵釉とが使われる。和釉は赤,緑,紫,黄,藍など原色ものに限られている。和釉は白玉(しらたま)と呼ぶ一種の無色ガラスの粉末に呈色剤として金属化合物を加え,にかわなどで溶いて筆描きし,それを錦窯(きんがま)に入れ,色釉が溶けて定着するほどの温度で器表に焼き付ける。呈色剤として赤は酸化第二鉄(弁柄(べんがら)),緑は酸化銅(緑青(ろくしよう)),黄はアンチモニー,紫はマンガン,藍は酸化コバルト(呉須(ごす))が用いられる。しかし赤を除いた色釉は色ガラスのように透明性を帯びた釉層の盛り上がったものであるが,赤は釉化しにくく,ごく細かい弁柄の粉末に溶けやすいガラスを少し加えただけで焼き付けている。したがって釉層も薄く,硬いものでこするとはげやすい。
これら金属化合物を使って陶磁器に上絵付する方法は,12世紀ころ中国で始められたと見られている。最も古い遺例では南宋時代華北に勢力をのばしてきた金の年号泰和元年(1201)銘のある碗が知られている。この期のものを宋赤絵と呼んでいるが,牡丹や水禽文を赤を主とし緑と黄を加え筆少なに描いている。その後この技法は華北一帯の民窯,磁州窯系の陶技として改良普及され,明代の初期には当時磁器焼造の中心地であった景徳鎮窯にも導入されたものと見られている。まだ明代初期の赤絵については不明な点が多いが,15世紀には成化の豆彩(とうさい)(闘彩)として現れ,その後は日本で古赤絵と呼ぶ嘉靖期(1522-66)以前の民窯の赤絵として量産された。続く嘉靖年間は赤絵の全盛期で民窯では金襴手,官窯では白磁や青花磁に五彩を加えたものを中心に,色釉地に色釉文様を加えた雑彩と呼ぶ濃麗な作品も作られた。万暦年間(1573-1619)には官能的で濃艶な赤絵が作られ,日本の茶人はこれを万暦赤絵と呼んで珍重した。また明末の天啓年間(1621-27)から清初にかけて天啓赤絵,南京赤絵と呼ばれる粗雑な器皿,福建省あたりでは奔放な絵付の呉須赤絵が焼造されたが,これらも日本の茶人たちに愛好され,日本の赤絵の発展に大きな影響を与えた。清朝の成立とともに康煕・雍正・乾隆期には粉彩と呼ぶ精緻な五彩磁が作られ,よりいっそう絵画的な表現を展開していった。
日本では江戸時代の初期,1646-47年(正保3-4)ころ酒井田柿右衛門が中国の技法によって赤絵を完成したと伝える。その後,伊万里磁器は寛文~元禄期(1661-1704)に全盛期を迎え,柿右衛門様式,古伊万里様式,鍋島様式,古九谷様式などが確立され,また遠く西欧に輸出されて,18世紀前期にはドイツのマイセン窯で色絵磁器を生んだ。京都では野々村仁清が陶胎色絵をはじめ,1656-57年(明暦2-3)ころから盛んに作られ,各地に影響を与えたが,以後日本の陶磁の主流は赤絵ものが占めるようになっていった。
執筆者:河原 正彦
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色絵(いろえ)、五彩(ごさい)ともよばれる絵付陶磁の一種。白釉(はくゆう)陶や白磁胎の釉面に上(うわ)絵の具をもって絵付を施し、錦窯(きんがま)とよばれる耐火れんが製の小さな窯で焼き付けた加飾陶磁。とくに赤絵の具が基調になっているところから赤絵の名がある。この技術は、12世紀末に中国北部の磁州窯で始まり、世に宋(そう)赤絵といわれている。14世紀には江西省の景徳鎮(けいとくちん)窯が白磁胎赤絵に成功してから一挙に普及し始め、明(みん)代後半から清(しん)代には赤絵の全盛期が築かれた。日本では江戸時代初期の17世紀前半に九州有田の陶工酒井田柿右衛門(かきえもん)が中国に学んで開発した。ほぼ同じころ京都の東山一帯の窯でも赤絵が試みられ、1657年(明暦3)には御室(おむろ)焼の野々村仁清(ののむらにんせい)が京焼赤絵を成就している。
[矢部良明]
陶磁器の一種。白磁に赤,緑,黄,黒,青などの釉(ゆう)で文様を描き,中国では五彩と呼ぶ。宋代からつくられ,明代に最も盛んとなった。江西省の景徳鎮(けいとくちん)はその名産地。ベトナムでも15世紀頃からつくられ,紅安南(べにあんなん)と呼ばれる。日本には,17世紀初め,中国人によりその製法が伝えられた。
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…さらに痘瘡にかかると,疫神をはらうための〈疱瘡祭〉を行う風習があり,患家に集まって贈物を交換したり,食物を分け合う行事が行われた。そのほか迷信的な薬方や護符にすがり,食物の禁忌(タブー)が信じられ,たとえば痘瘡患者の周囲を赤色ずくめにするなどし,〈赤絵〉ともいわれる疱瘡絵が流行した。痘瘡の治療として,江戸時代には〈ささ湯〉という,痘瘡の落痂を促進させるため酒を加えた米の白水(しろみず)をかける風習が広がり,これはやがて出費のかさむ祝事となった。…
…1616年(元和2),李参平によって有田の白川天狗谷窯で,日本で初めての染付磁器の焼造が開始された。当初は李朝風の素朴な染付磁器であったが,寛永末年から正保年間(1640年代)にかけて,明末の染付,赤絵の影響を受け,酒井田柿右衛門によって赤絵の焼造が始められると,有田の窯業は急速な成長をみた。有田における磁器焼造に着目した鍋島藩はすでに1628年(寛永5),有田岩谷川内に藩窯を設け,御用品の焼造を行っていたが,柿右衛門の赤絵磁器が始まると,その技法を用いて色鍋島と呼ばれる精巧な色絵磁器を焼かせるようになり(鍋島焼),有田磁器における伊万里,柿右衛門,鍋島の3様式の確立をみた。…
…白磁や白い陶胎の釉上に赤,黄,緑,紫,青,黒などの色釉(いろぐすり)や金,銀彩で上絵付(うわえつけ)した陶磁器の日本での総称。日本では単に赤絵,色絵ともいい,中国では五彩(ごさい)とも呼ぶ。江戸時代の初期に中国から輸入された,明末の嘉靖の五彩磁,金襴手(きんらんで),万暦赤絵や,清初の南京赤絵,色絵祥瑞(しよんずい)などの影響を受け,肥前有田では磁胎の錦手が,京都では陶胎の錦手が始められた(有田焼)。…
※「赤絵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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