東海寺は寛永一五年(一六三八)三代将軍徳川家光により沢庵宗彭(京都大徳寺一五三世)のために建立された寺院で、翌一六年に沢庵は開山として入寺した。同年朱印地寺領五〇〇石を与えられている(寛文朱印留)。紫衣事件で寛永六年出羽国
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
東京都品川区にある臨済宗大徳寺派の寺。山号は万松山。1638年(寛永15)徳川家光が,帰依の僧沢庵宗彭のために建立した。朱印500石,塔頭(たつちゆう)17ヵ寺を有し,大徳寺派の江戸触頭(ふれがしら)の一つであった。45年(正保2)沢庵寂後,住職は大徳寺の僧が輪番で務めた。94年(元禄7)火災にあったが再興され,その後も徳川家の外護(げご)を得て隆盛をみた。1871年(明治4)本坊が取り壊され,寺地を召し上げられたため,以後,寺は塔頭の玄性院に移されていたが,第2次大戦後復興した。境内には賀茂真淵や服部南郭らの墓がある。鎮守(現在の品川神社)の牛頭天王(ごずてんのう)太々神楽の興行や祭礼はかなりのにぎわいをみせたといわれる。
→沢庵
執筆者:長谷川 匡俊
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
東京都品川区北品川にある臨済(りんざい)宗大徳寺派の寺。正しくは萬松山(ばんしょうざん)東海禅寺という。本尊は釈迦(しゃか)三尊仏。1639年(寛永16)徳川家光(いえみつ)が沢庵宗彭(たくあんそうほう)を開山として建立、徳川家代々の外護(げご)を得た。1871年(明治4)国有地とされて本坊を失ったため、塔頭(たっちゅう)の玄性院を仏殿として再建した。寺宝に都指定文化財の絹本淡彩沢庵和尚(おしょう)像、沢庵宗彭筆『原人論註解(ちゅうかい)』、沢庵墨跡3幅、東海寺拝領御道具帳3冊、東海寺公用記録124冊などがある。沢庵の墓、賀茂真淵(かもまぶち)の墓は国史跡に指定されている。
[菅沼 晃]
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