江戸時代に,歌舞伎役者や大道芸人・旅芸人などを社会的に卑しめて呼んだ称。河原乞食ともいった。元来,河原者とは,中世に河原に居住した人たちに対して名づけた称である。河川沿岸地帯は,原則として非課税の土地だったので,天災・戦乱・苛斂誅求などによって荘園を追われたり離れたりした流亡民たちがここに定住し,零細な農耕を営む一方,貴族・寺社の社会から賤業と見なされた雑業に従って生活していた。彼らが従事した業は,皮革生産・鳥獣屠殺・死体埋葬・清掃・細工・染色など,実にさまざまの種類にわたっていたが,室町時代末期には作庭にすぐれた才能を持つ河原者が輩出したことが知られている。著名な京都竜安寺の石庭も,河原者の創造であったとされる。近世に入ってのち,彼らの生業の多くは独立の職業となって確立し,中世的な差別から脱却したと思われるが,一部は厳格な近世的身分階級制のもとで,四民の下に位置づけられて,制外者(にんがいもの)扱いで不当な差別を受けつづけた。雑芸人や歌舞伎役者の場合はそれで,初期にはたとえば京都の四条河原などの河原に小屋掛けして興行を行ったため,劇場が河原を離れたのちも差別語として用いられていた。近代の名優の一人,7世市川中車が歌舞伎役者を志望したとき,父親がこの用語を使って許さなかったとのちに語っている(《中車芸話》)のを見ると,幕末に至るも差別から脱却したとは言いがたかったことがわかる。明治以後,新政府の方針で役者は俳優と呼び換えられ,歌舞伎役者の社会的地位は向上した。1887年の天覧歌舞伎はその象徴的出来事であった。
執筆者:服部 幸雄
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江戸時代における役者をはじめ芝居関係者、大道芸人、旅芸人などの蔑称(べっしょう)。河原乞食(こじき)ともいった。本来は中世に河原に居住した人々の称で、12世紀ごろから天災や戦乱、貧困などによる流亡民のうち、非課税地の河原に逃れた者をよんだのが始まり。零細な農耕や行商、と畜、皮革の加工、染色、清掃、死体埋葬などのほか、散楽(さんがく)の伝統を引く雑芸能を行う者が多かったのが特色である。近世に入ると、彼らの一部は独立した職業として確立したが、大半は厳格な身分制度のもとで四民の下の制外者(にんがいもの)扱いにされ、差別を受けた。しかし、寺社の権力を背景にしていろいろな特権を得て、とくに諸種の芸能の勧進(かんじん)興行は河原で催されることが多かったので、河原者がその支配権を握り、説経、浄瑠璃(じょうるり)、操り、からくりなどに地方の新芸能も加わって、近世の庶民芸能はほとんどが河原で育てられた。京都・四条河原で行われた出雲(いずも)の阿国(おくに)の歌舞伎(かぶき)踊りはもっとも有名。こうした発生の由来から、劇場が河原を離れたのちも、河原者という語が芝居関係者の差別語として用いられ、一般社会から卑しめられる風習が明治になるまで続いた。
[松井俊諭]
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中世,京都鴨河原など不課税の地の河川敷に住み,斃牛馬処理・細工・行刑・井戸掘り・胞衣(えな)埋めなどの日雇的な雑業や肉体労働に従事した者を賤民視した語。「左経記」長和5年(1016)正月2日条に「河原人」の職掌として,斃牛の皮をはぎ,体内から薬用の牛黄(ごおう)をとりだしたとあるのが初見。その活動が盛んになるのは中世後期に入ってからで,宮廷や禅宗寺院の庭に河原の木石を運ぶうち,作庭に従事するようになった山水河原者(せんずいかわらもの)も現れた。作庭の名手とたたえられ,将軍足利義政に寵愛された善阿弥(ぜんあみ)と,孫の又四郎はその代表。
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…生産した皮革は,馬皮・牛皮・鹿皮・熊皮などで,皮革の表面に模様の型をあておいて松葉(またはわら)の煙でいぶし,型の部分を生地色のままに残した燻革(ふすべがわ)や,紫革・緋革・纈革(しぼりがわ)・画革・白革などの染革(そめがわ)も作られた。 荘園制のもとでは,従来の官営工房から流出した技術者たちがその技能をもって荘園領主に抱えられたり,技能を受けついだ河原者たちが斃牛馬(たおれぎゆうば)の解体処理を生業の一環としたりして,皮革生産が行われ,高まる需要に応じていた。また,皮革の直接生産者から製品を集め,それを用途に応じて適当に裁断したものを商う切革(きりかわ)(切皮)職人の同業組織である切革座(きりかわのざ)も12世紀なかばの京都で出現し,後世の皮屋・切革屋の源流をなした。…
…室町時代に活躍した河原者(かわらもの)の別称の一つ。また,江戸時代には徳川将軍家に仕え,白衣で江戸城の奥庭の清掃や将軍の身の警備に従事するとともに,秘密情報の収集・提供を行った〈御休息御庭之者(ごきゆうそくおにわのもの)〉(ふつうには庭番(にわばん),御庭番(おにわばん)といった)のことをさし,さらには〈猿楽師(能役者)〉に対する軽侮の念のこもった言葉として使われた語。…
…彼ら〈非人〉の多くは,京都(京)の清水坂(きよみずざか)や奈良(南京・南都)の奈良坂など都市の周縁部に位置する交通の要衝や,荘園内に設定された〈散所(さんじよ)〉という地域を根拠地として,〈非人長吏(ちようり)〉や〈散所長者〉による統率・管理のもとで集落生活を営んでいた。さらに鎌倉時代中期には,すでにこの〈キヨメ〉たち(職能の呼称が,それに携わる人の呼称にもなった)は〈えた〉と同一視されており,〈えた〉はまた〈河原のえた〉ともいわれたように〈河原者(かわらもの)〉と一体であったことが知られている。〈河原者〉は河原の刑場での処刑に関する雑役,河原を作業場とする鳥獣の屠割や皮革の生産を主たる生業としたが,南北朝時代以降,彼らのなかから作庭に従事する〈山水(せんずい)河原者〉が輩出したことは文化史上に名高い。…
※「河原者」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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