改訂新版 世界大百科事典 「河川総合開発」の意味・わかりやすい解説
河川総合開発 (かせんそうごうかいはつ)
river-basin comprehensive development project
洪水を制御する治水と,河川水を有効に利用する利水とを総合的に考えて,その流域の人々の生活の向上と産業の振興のために河川の開発を行うこと。治水と利水の技術手段をそれぞれ別々に施すと,互いに障害を起こすことになりがちである。例えば,川を有効に利用するために,取水ぜきや発電ダムを築くと,水の流れにとってはじゃまになり治水上支障をきたすなど,その代表的な例である。ダム技術が進歩し大ダムができるようになるにつれ,治水ダムと利水ダムへの要求が相反するため,河川総合開発の重要性が認識されるようになった。洪水調節用の治水ダムでは,貯水池水位をできるだけ低くして,つまり貯水池をなるべく空にして洪水に備えねばならない。逆に利水ダムでは貯水池水位をなるべく高くしておいて渇水に備えねばならない。河川を最も有効に開発するためには,ダムはもとより河川に対するすべての開発を個々に計画せず,それらを総合的に開発する必要性が,技術の進歩,生活の複雑化に伴って,増大してきたといえる。河川総合開発を進めるに際しては,自然としての河川の特性を理解し,かつ一つの河川流域は上流から河口に至るまで一貫した系であることを認識し,その開発が河川と流域の自然と社会に与える効果を考慮しなければならない。
日本では河川総合開発の名のもとでの流域開発は,1950年の国土総合開発法施行に伴い正式に始められた。北上川などに象徴されるように,一水系に多数の多目的ダムを築き,洪水を調節して下流の洪水規模を小さくし水害を減少させるとともに,農業用水などを開発して食糧増産を促進し,かつ発電水力を発生させて工業生産や都市生活の向上を目ざすものであった。とくに第2次世界大戦後の十数年間は,毎年のように大水害に見舞われ,かつ食糧危機やエネルギー不足に悩んでいたため,河川総合開発は国土開発における最重点課題であった。日本における河川総合開発のはしりは,すでに1938年に始まった河水統制事業に見ることができる。大正末期にダム技術の進歩に呼応して,発電ダムの出現,洪水調節ダムの提案があり,それらを受けてダムによる流水制御を総合的に施行しようとして開始されたもので,その開発思想としては,33年にアメリカ合衆国で開始されたTVAの影響も強かったと推察される。つまり,テネシー川で26ヵ所に多目的ダムを築き,水害対策,水運,農業開発,発電,レクリエーションなどの河川総合開発が始まっており,それを可能ならしめる技術も育っていたことが,日本の河川開発理念にも影響したと見られ,日本でそれが開花したのが1950年代であるといえる。
執筆者:高橋 裕
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報