法城寺跡(読み)ほうじようじあと

日本歴史地名大系 「法城寺跡」の解説

法城寺跡
ほうじようじあと

[現在地名]甲府市東光寺三丁目

昭和二〇年(一九四五)空襲で焼失した甲斐国治水伝説にまつわる臨済宗妙心寺派の寺院本尊地蔵菩薩国母こくぼ地蔵上条かみじよう地蔵・稲積いなづみ地蔵ともよばれ、国生みの地蔵として古来、深い信仰を集めた。「甲陽軍鑑」によれば、甲斐国は往古、湖であったが、この地蔵により甲府盆地南部の山が開削され、一国の水がことごとく富士川に落ちるようになったという。また法城寺の名称は「水去りて土と成る」の意で、当寺が破れると甲州水害で衰微するので、甲州を支配する武将末代までこの寺院を護持するよう述べている。創建年代は不詳であるが、国母地蔵由来記(県立図書館蔵)は、甲斐国を訪れた行基が篠原岡しのはらのおか(現竜王町)で地蔵菩薩と出会い、養老二年(七一八)三月二四日に一間四方の草堂を建て、杖頭に自刻した三寸二分の地蔵像を安置したと伝える。岡は開墾されて稲作が始まり、一帯稲積とよばれるようになったという。同書は行基がこの寺を日輪之にちりんの堂と名付け、天長一〇年(八三三)日輪法城禅寺の贈額が行われ、貞観一八年(八七六)には国母染殿后(藤原明子)ゆかりの法金剛ほうこんごう(現京都市右京区)末寺になったことから日輪法城金剛就院の勅額が下されたとするが、史料的裏付けを欠く。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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