改訂新版 世界大百科事典 「法王宮職」の意味・わかりやすい解説
法王宮職 (ほうおうぐうしき)
767年(神護景雲1)に設置された令外官。道鏡が法王として家政と政務を執行した官庁。道鏡は766年(天平神護2)10月法王に任ぜられた。翌年3月に法王宮職が置かれ,造宮卿但馬守従三位高麗福信(こまのふくしん)を大夫(兼任)に任じ,大外記遠江守従四位下高丘比良麻呂を亮(兼任),勅旨大丞従五位上葛井道依を大進(兼任)とし,少進1人,大属1人,少属2人がおかれた。法王の月料は天皇の供御に準じたとあるから,衣服,飲食は天皇と同じものを用いた。また出入警蹕も乗輿に擬したとあるから,乗物や出入のときの儀礼も天皇と同等であった。ゆえにその家政の執行,また公の政務についても,少なくとも中宮職,春宮坊に匹敵する舎人(とねり)(中宮400人,春宮600人),使部(30人),直丁(3人)が属していたと考えられる。高麗福信は668年高句麗の滅亡時に亡命渡来した背奈福徳の孫,高丘比良麻呂は百済滅亡後の663年に亡命渡来した百済人沙門詠の子孫であり,古来の日本貴族にくらべ,成上りの道鏡に反感を抱かぬ渡来人をその職にあてたのであろう。770年(宝亀1)道鏡の失脚と同時に廃止された。
執筆者:横田 健一
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