仏教界全体、仏教の各宗派、あるいは仏教者個人が受ける迫害や弾圧のこと。被害者側からの表現で、「仏法の災難」の意。国家的レベルにおいて行われる廃仏(破仏)が最大の法難であるといえよう。形態としては、権力者自身によって引き起こされる場合と、特定の個人または集団が権力者を動かすことによってもたらされる場合とがある。また法難は、それが及ぶ範囲の仏教者の信仰や悟りの確かさを問うという意味をもち、不動の信念をもつ者は激しく抵抗したり殉教したりする場合が多い。
[木村清孝]
インド仏教史上の最大の法難は、13世紀初頭のイスラム教徒による廃仏である。これによってビクラマシラー寺院が破壊され、数万の仏教徒が虐殺されるなど、当時すでに力の衰えていた仏教教団は壊滅的な打撃を受け、また多くの仏教文化財が失われた。
[木村清孝]
中国におけるものとしては、いわゆる「三武一宗(さんぶいっそう)の法難」が代表的である。すなわち、北魏(ほくぎ)の武帝による446年(太平真君7)の廃仏、北周(ほくしゅう)の武帝による574年(建徳3)以降の廃仏、唐の武宗による842年(会昌2)から845年に及ぶ廃仏、そして後周の世宗による955年(顕徳2)の廃仏である。彼らは、おおむね、僧尼の増加による国家財政の圧迫、教団の腐敗、仏教思想の迷信性などを理由としてかなり徹底した仏教否定運動を展開し、寺院や仏像を大量に破壊し、多数の僧尼を還俗(げんぞく)させた。
[木村清孝]
朝鮮仏教が受けたもっとも大きな法難は、李朝(りちょう)時代のそれである。とくに第3代の太宗(1401~18在位)が神仏の功験はないという儒教的合理主義の立場から、寺額の減少、僧尼の還俗、寺有地の国有化などを推進したことは、李朝の廃仏政策、つまり、仏教側にとっての法難の基調をなすものとして注目される。
[木村清孝]
日本において仏教界全体が受けた法難としては、第一に、戦国時代の織田信長による1571年(元亀2)の叡山(えいざん)焼打ちに始まる一連の仏教弾圧、第二に、明治維新政府の宗教政策として実行された1868年(慶応4)の神仏分離に伴う各地の廃仏運動をあげることができよう。しかしこのほか、特定の宗派における法難は二、三にとどまらない。旧仏教側からの圧力に基づく鎌倉時代の浄土教団の弾圧(承元(しょうげん)・嘉禄(かろく)の法難)、日蓮(にちれん)個人が受けた四大法難、江戸時代の不受不施(ふじゅふせ)派の弾圧(寛文(かんぶん)・天保(てんぽう)の法難)などがそのおもなものである。
[木村清孝]
仏教教団が国家権力などにより受けた迫害,すなわち仏法の受難をさし,廃仏,廃釈などともいう。キリスト教などにおける受難,殉教に通ずる。中国においてインド起源の外来宗教たる仏教は,教団組織をととのえ中国社会で勢力を増強させるにつれ,道教徒側の画策などにより,ときどき国家権力によって迫害をうけた。なかでも仏教側から〈三武一宗の法難〉とよばれる北魏,北周,唐,後周の4王朝の4人の皇帝による廃仏が著名であるが,いずれも次の皇帝によって仏教復興政策がとられた。一宗派に対する法難としては,三階教に対する600年(開皇20)と725年(開元13)の両度にわたる禁絶があった。なお近年の中華人民共和国で,とくに文化大革命の期間にも,仏教の布教が認められず,出家が禁断されていたので,法難とよぶことができよう。日本でも法然,親鸞,日蓮の受難が知られる。とりわけ〈熱原(あつはら)法難〉は有名で,正法の実現を説いた日蓮は法難こそ末法に生きる仏の使者が敢然と受けるべきだとその重要性を強調した。
→廃仏毀釈 →排仏論
執筆者:礪波 護
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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