波多神社
はたじんじや
[現在地名]明日香村大字冬野
冬野集落の東に鎮座する。西方約一キロに大字畑の上畑集落がある。祭神は事代主命。旧村社。「大和志」以後、「延喜式」神名帳高市郡の「波多神社鍬靫」に擬定。同帳には「波多
井神社」もみえ、いずれも「和名抄」の高市郡波多郷にあったと考えられるが、波多
井神社は現奈良県高取町羽内の社に治定されている。「新撰姓氏録」大和国未定雑姓に高弥牟須比命の子孫に「波多祝」の名がみえる。
波多神社
はたじんじや
[現在地名]掛合町波多
波多字宮内にあり、祭神は波多都美命。同じ宮内地内にあった剣大明神を合祀する。したがって配祭神は中津島比売ほか二三柱。旧村社。もとは野田山の麓、字宮ヶ峠にあったが、承応二年(一六五三)洪水で壊滅し現在地に移された(飯石郡誌)。室町・戦国期にかけて仙導八ヵ村といわれる獅子・八神・志津見・角井・都加賀(現頓原町)、入間・刀根・波多の村々の神社の総社としての地位をもっていたという(波多神社文書)。
波多神社
はたじんじや
[現在地名]一志町八太
波瀬川右岸にあり、旧郷社で例祭は二月一七日、祭神は宇賀神(宇迦御魂命)・倉稲魂命・水分神となっているが、「神名帳考証」(度会延経)には埴安神、「神名帳考証再考」には倉稲魂命、「五鈴遺響」には八代宿禰および武内宿禰など八太氏の祖を祀るとあり必ずしも一致しない。「延喜式」神名帳の伊勢一志郡一三座の波多神社に比定される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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