平曲の流派名。流祖は一方流(いちかたりゆう)師道派の波多野検校。江戸時代初期に各種あった平曲の伝本を,一方流平曲の大成者である明石覚一(?-1371)の詞章に戻す動きが起こり,師道派の山中久一検校はじめ,一方検校衆によって〈流布本〉が作られた。山中検校の弟子波多野検校はこの〈流布本〉をもとに独自の台本を作り,〈流布本〉を受け入れなかった前田流と対立した。以後波多野流は京都を中心に伝承されたが,流勢はふるわなかった。明治時代に当道(とうどう)が廃止されたため,時の波多野流検校藤村性禅(1853-1911)は収入の道を失い,按摩などをしながら津田青寛,山口巌などの盲人箏曲家や,冷泉為系,湯浅半月などのしろうと愛好家に平曲を伝えた。しかし,その伝承も第2次世界大戦後は途絶えて今日には伝わらない。音楽的には曲節の細かいことに特徴がある。曲節の名称や墨譜の形は前田流と異なるが,両者には対応関係があり,音楽的にはそう大きな違いはなかった。
執筆者:薦田 治子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…平曲家。波多野流流祖。名は孝(考)一。…
…生活の安定した盲人たちのあいだでは,ひところのような隆盛はみられなかったものの,平曲は地歌(じうた),箏曲をはじめすべての音曲の基礎として重視され,検校になるための条件として平曲の素養が欠かせなかったため,それまでの伝統がよく守られた。一方流の師道派から出た波多野検校と前田検校は,それぞれ波多野流,前田流を立て,以後の平曲はこの2流を中心に伝承されていく。波多野流はおもに京都に,前田流は江戸を中心に全国に広まった。…
※「波多野流」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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