前田流(読み)マエダリュウ

デジタル大辞泉 「前田流」の意味・読み・例文・類語

まえだ‐りゅう〔まへだリウ〕【前田流】

平曲流派の一。江戸初期に前田検校(のちに総検校)が創始京都中心とした波多野流に対し、主に江戸・名古屋で行われた。現行の平曲はすべて前田流。

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精選版 日本国語大辞典 「前田流」の意味・読み・例文・類語

まえだ‐りゅう まへだリウ【前田流】

〘名〙 平曲の一流派。総検校前田九一を祖とするもの。江戸、名古屋を中心に行なわれた。京都を中心とした波多野流と相対立して伝承。現行の平曲はすべて前田流。譜本に「平家正節(まぶし)」を使用

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改訂新版 世界大百科事典 「前田流」の意味・わかりやすい解説

前田流 (まえだりゅう)

平曲の流派名。流祖は一方流(いちかたりゆう)師道派の前田検校。江戸時代初期,各種あった平曲の詞章一方流平曲の大成者明石覚一(?-1371)の詞章に戻す動きが起こり,山中久一検校はじめ一方検校衆によって〈流布本〉が作られた。このとき同じ師道派の高山誕一検校はこれに反対,師伝を重んじる態度を固守して対立した。高山の弟子前田検校はこの方針を受け継ぎ,京都と江戸で活躍し,彼の率いる一派は前田流と呼ばれるようになった。詞章改訂派の波多野流が京都を活動の中心としたのに対し,前田流は江戸を根拠地とし,参勤交代などによって全国に広まった。なかでも津軽藩は熱心で,数少ない平曲の伝承者の一人であった館山甲午(1894-1989)の祖は津軽藩士である。江戸中期に活躍した荻野検校は名古屋で譜本《平家正節(へいけまぶし)》を作り,これが前田流の正本として全国に広まった。名古屋には荻野検校の系統をひく井野川幸次(1904-85),土居崎正富(1920-2000),三品正保(1920-87)が前田流を伝えている。なお,現在平曲の伝承は前田流のみである。
平曲
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「前田流」の意味・わかりやすい解説

前田流
まえだりゅう

平曲の流派名称。江戸時代の平曲において,前田九一検校 (?~1685) を祖とする伝承をいい,波多野孝一検校を祖とする波多野流に対するが,いずれも室町時代一方 (いちかた) 流分流。前田検校は,一方流師堂派の松本京一検校門下の高山誕一検校を師とし,保守的な伝承のテキストを用いたが,節付けは改革したといわれる。波多野検校に次ぐ宗匠と称せられ,徳川家光に召されて江戸に住んだ。以後,江戸を中心として全国にその伝承が伝えられた。

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世界大百科事典(旧版)内の前田流の言及

【平曲】より

…生活の安定した盲人たちのあいだでは,ひところのような隆盛はみられなかったものの,平曲は地歌(じうた),箏曲をはじめすべての音曲の基礎として重視され,検校になるための条件として平曲の素養が欠かせなかったため,それまでの伝統がよく守られた。一方流の師道派から出た波多野検校前田検校は,それぞれ波多野流前田流を立て,以後の平曲はこの2流を中心に伝承されていく。波多野流はおもに京都に,前田流は江戸を中心に全国に広まった。…

※「前田流」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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