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洞爺丸台風 とうやまるたいふう

百科事典マイペディアの解説

洞爺丸台風【とうやまるたいふう】

1954年9月26〜27日の15号台風。九州に上陸,いったん日本海に抜けたが,ふたたび発達し,北海道の西側を北東に進んだ。函館港外で青函連絡船洞爺丸(4337総トン)が転覆し,死者・行方不明者1155人という日本最大の海難事故を起こし,また北海道岩内町でフェーンによる大火を発生した(焼失家屋約3300戸)。
→関連項目青函連絡船野幌原始林

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デジタル大辞泉プラスの解説

洞爺丸台風

1954年9月に発生した台風15号のこと。国際名は「マリー(Marie)」。9月26日に九州に上陸したのち、中国地方、日本海を進み、北海道で特に大きな被害をもたらした。名称は、この台風により函館港沖で座礁・転覆し、乗客乗員1139名が死亡した青函連絡船の洞爺丸に由来する。

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世界大百科事典 第2版の解説

とうやまるたいふう【洞爺丸台風】

1954年9月25日早朝に台湾の東の海上で北東に向きを変え,ほとんど一直線に北東進した洞爺丸台風は,26日午前2時ころ大隅半島に上陸し,時速70~100kmというはやい速度で四国,中国を斜断して日本海に出,いくぶん勢力を強めて北海道西岸沿いを進み,夜半には稚内に達した。全国的に風水害,高潮害,塩害波浪害山崩れ火災など各種の災害をひき起こし,死者・行方不明1761名,建物の全壊流失約8400戸,船舶被害1725隻に達した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

洞爺丸台風
とうやまるたいふう

1954年(昭和29)の第15号台風のこと。9月26~27日、西日本・北陸・北日本に風水害をもたらした。東シナ海を時速80キロメートルで北東進し、9月26日2時ごろ鹿児島県に上陸、その後も時速100キロメートルという猛スピードで九州・中国地方、日本海を北東進した。九州・中国地方の陸上を通ったにもかかわらず勢力を保ち続け、日本海ではむしろ発達した。台風による被害はこの猛烈な暴風によるものが多く、なかでも函館(はこだて)港沖で座礁転覆し乗客乗員1139人が死亡した洞爺丸をはじめ、計5隻の青函(せいかん)連絡船が沈没した。台風の名称はこの洞爺丸に由来する。全国の死者・行方不明者数は1761人であった。
 発達した台風が温帯低気圧に変わるとき、洞爺丸台風のように、加速しながら接近し、接近した後に速度を落とすという、当該地域(この場合は北海道)にとって防災対策がとりにくい速度変化をすることが少なくない。
 洞爺丸台風により、青函トンネル建設(1946年から地質調査は始まっていた)を急ごうという機運が急速に盛り上がった。中央気象台は従来の業務の抜本的な見直しを行い、1956年7月1日に運輸省の外局となり気象庁が誕生。また、洞爺丸台風の速度が異常に速かったとはいえ、状況を正確に伝える台風情報が発表できなかったことから、台風の進路予報の精度を上げるため、アメリカで開発されたばかりの数値予報(気温や気圧、風などを記述する多くの物理方程式を数値解析という手法で解き、将来を予測する方法)を導入し、日本初の大型計算機を1959年3月に稼動させた。その後も数値予報は日進月歩で進歩し、現在も台風予報に欠かせないものとなっている。[饒村 曜]

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